雪の日 #1






 シャッと軽い音がして、明るい光が瞼の裏まで入ってきた。

「…ん」

「おはようございますっ!」

 光に当てられて覚醒しかけた意識に、とびきり明るくて元気な声が飛び込んできた。

 ゆっくりと開けた琥珀の目に、窓の傍でニコニコと笑う花梨が映る。
 後ろの窓から入る光と相まって、彼女がとても眩しく見えた。

「おは…」

「琥珀さま! ちょっと見てくださいっ」

 挨拶の言葉も言い終わらないうちに、花梨は楽しくて我慢がならないといった様子で窓枠に手を掛けていた。

 もぞもぞと琥珀がベッドの上で起きあがったところで、彼女は一気に窓を開けた。

 途端、冷たい風が部屋に押し寄せてきて、琥珀は思わず身体をすくめた。

「夜中から今朝にかけて積もったみたいで」

 聞き慣れない動詞に首を傾げ、窓に近づいく。そしてにっこり笑う花梨を見て、窓の外を覗き込んだ。

「う、わ…ぁ…」

 そこには、いつもの窓からの景色とはまるで別物な風景が広がっていた。

 乱雑に並んだ建物の頭、所々に散らばる街路樹、広かったり狭かったり、複雑に入り組んだ道路。

 そのどこもかしこも、白い綿帽子のようなものが敷かれていた。

 アンダーリバーの名を示す、蜘蛛の巣状に張り巡る川の流れも、いつもより激しい。

「………、白いの、なに?」

「え? …あ。 えーと、あれは雪と言ってですね…」

 首を傾げた琥珀が、雪の事を知らないのだと思いついて、花梨は口ごもった。なんと説明すればいいのか頭の中で整理している間に、琥珀はぱあっと顔を輝かせた。

「マシュマロ、の!」

「………マシュマロ? なんですかそれ」

 言われた時間が分からず、花梨は目をぱちくりさせた。

 聞かれた琥珀も、少し考えて首を傾げる。

「…わかん、ない」

 その時、下から盛大な歓声が聞こえてきた。

 見れば、氷雨の建物から思い思いに若者たちが飛び出してきて、中庭で雪をぶつけ合ったりして遊んでいる。

 構成員だろうか。琥珀や花梨よりもみんなちょっと年上だ。



「あれは雪合戦。ああやって、雪玉をぶつけ合う遊びだよ」



 突然入ってきた声に、窓の外に意識を向けていた少女二人は飛び上がった。

 両手に抱えるほど大きな箱を持った雲雀が、すぐ後ろにいた。

「ひ、ひ…雲雀さまっ!! いつの間に!?」

「ついさっき。 花梨、気づかなかったの?」

「う…」

「気をつけなよ。 俺だって気配消すくらいできるからね」

 にっこりと笑って言った雲雀は、彼の方を向いてまだ固まっている琥珀を見た。

「おはよ」

「うん、…おはよ、う」

「あ、おはようございます」

「へへへ、霧生様からの贈り物が来てたから一足先に届けに来たよ。 雪が降ったからかな、今日はウサギの耳付きファーマントが入ってた」

 荷物を床に置いた雲雀は手を払って、二人と同じく窓の外を見た。

 疾風の自室兼寝室であるこの部屋は、氷雨の建物の中で最上階にあたる。

 結構な高さがあるため届く声は小さいが、雪で遊んでいる彼らは盛大に盛り上がっているらしい。

「…あの、雲雀さま。 あの方たちは?」

「ああ、いろんな部署の若手。 って、あいつ謹慎中のはずじゃ…」

 下にいる人たちを見て、ぶつぶつ呟く雲雀を見て花梨がぎょっと目をむいた。

「え!? 誰が誰か分かるんですか!?」

「当然。俺、氷雨のデータベースだよ」

 えっへんと胸を張る雲雀を、琥珀が振り返った。

「楽しそ、う…」

「雪が降るなんてなんて何年ぶりかな」

「ああ、最近降ってませんでしたね」

「あと雪が降るとはしゃぐのは、子どもの本能だしね!」

「ですよね!? やっぱりはしゃぎたくなりますよね!?」

 意気投合している二人を余所に、琥珀はじっと下の光景を見ていた。ふと思いついて、窓枠にほんの少し積もっている雪を触ってみた。

 冷たいそれは、手のひらに載せるとそれはすぐに溶けてしまった。

 もう一度掬って、今度は口に入れてみる。

「……………………甘く、ない…」

 ユキは、何の味もしなかった。

「…なにしてるんですか。当たり前です」

 食べるところを見られてしまったらしい。花梨に軽く頭を叩かれた。

「さっきマシュマロとか言っていましたけど…見た目はふわふわでも、もとは雨ですから。あと空気中の塵とか混ざってるし…」

「う、うん…ごめんな、さい」

 同じ空から降るものだから、雨と雪が同じものだということは何となく分かった。ただ、水は氷になるイメージが強いので、こんな白くて綺麗なものになるのかと、驚く。

「ここも少しだけ積もってるね」

 雲雀は窓枠から素手で雪をとって軽く握り、手のひらに載るほど小さな雪玉を作った。

 それをサッシに置いて、もう一回り小さい雪玉を作る。そして小さい方を大きな雪玉の上にのせた。

「あ、雪だるま。可愛いですね」

 ーーーーーーーー雪だるまを作って遊べるんだけどな。

 ふと、琥珀の脳裏に柔らかい声が木霊した。とても柔らかい笑顔が同時に浮かぶが、それが誰なのか、彼女には分からない。

 同時に胸を締め付けられるような、泣きたくなるような感情がわき上がってくる。

「やっぱりこれくらいの量だと小さいのしか作れないなあ。下に行ったら、大きいのも作れそうだけど」

 その言葉を聞いて、考えるよりも先に、琥珀は雲雀の服を掴んでいた。

「……………………あ」

 二人とも、呟いた小さな声に反応してくれた。問いかけるような二対の瞳に見つめられて、琥珀は一瞬怯む。



 喉を鳴らして、琥珀は消え入りそうなか細い声で訴えた。



「……行きた、い」


「? え…」

「下に行って、…雪で、遊びたい…!」
























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