コンコン。 「どうぞ」 疾風は読んでいる書類から顔を上げずに、ノックの音にそう返した。 ノブを回して現れたのは、眼竜だ。 彼は渋い顔をしながら、机の前に立った。疾風は目の前に眼竜がいるというのに顔をあげない。 眼竜は溜息をつきながら、封筒を逆さにして、中に入っていたものを机の上にぶちまけた。 「回収してきたぜ、ネガと調査資料」 そこでようやく書類を読んでいた姿勢をといて、疾風は眼竜を見た。 「遅かったな」 「……お前…っ俺たちがどんだけ苦労したと思ってるんだっ!!」 ていっと封筒を壁に放り投げて、眼竜が腕を組む。疾風はそれには答えずに、乱雑な机のから、写真の束を取り上げた。 上から一枚ずつめくっていく。 ほとんどの写真が暗い林の背景に、少女を撮影したものだった。 「ふーん…」 白黒の写真とはいえ、見る人が見れば誰だかわかる。琥珀だ。 低い木の紅い実を取ろうとしているところ、不安そうに周りを見ているところ、去っていく後ろ姿……。 「夜とはいえ油断したな」 写真を置いた疾風は、今度は文字がびっしり書かれた記事を取った。 そこには大げさで派手な見出しとともに、疾風の今までの恋愛遍歴から交友関係まで、面白可笑しく騒ぎ立てるように書かれている。 写真の少女への邪推も、同じような文面だった。 「大スクープ!って意気込んでたところにお邪魔したから、抵抗が半端じゃなかった。雑誌社半壊にしてきたぞ。あとはしらん」 「口止めは?」 「超悪人面でナイフちらつかせてやってきましたよ。取ってきた編集長の小指、見たい?」 「ゴミ箱に捨てとけ」 疾風はざっと目を通した記事と、写真のネガを大きい灰皿に乗せて火をつけた。 二人が見ている前で、記事は灰に。ネガも炎を上げながらみるみるうちに溶けて、小さな固まりになった。 「だぁれかさんが、勝手なことをするから」 ポツリと呟いた眼竜の言葉に、疾風は初めて顔をしかめた。 「……だから後始末して回ってるだろ」 あの雪の日。 琥珀がいた林の方から人影が去っていくのを見た疾風は、あたりをつけていくつもの新聞社を見張らせていた。 そして案の定、琥珀に関係する記事が書かれているのを知り、世間に出る前に回収させたのだった。 「どこの誰かは分からなかったらしいな」 「中堅の雑誌とはいえ、情報網もそんなになかったしなぁ……、まあ、今回はこれでおさまるんじゃねえ? あ、俺たちにしっかり特別手当すんの忘れるなよ!」 「はいはい」 適当に返事をして、疾風は写真を一枚とって灯りに翳した。 琥珀が、紅い実を取ろうとしているところだ。 嬉しそうに摘んでいる姿を眺めて、そういえば写真をとったことはなかったな、と疾風はぼんやり思った。 変化が起きたのは、それから数週間経った頃だった。 朝の早い時間に、氷雨の建物の前に馬車が一台止まった。国中どこでも見かける、なんの特徴もない馬車だ。 動く様子のないそれを不審に思った門番が、近づいてドアを叩く。すると、中から一人の少年が下りてきた。 「こんな時間に申し訳ありません。 ……疾風さまにお目通り願えますか?」 一目見て仕立ての良いとわかるスーツを着た少年が、仰々しく頭を下げた。 「面会の約束は?」 「ありません。当方失礼ながら、疾風さまに連絡する手段がございませんでしたので、こうして出向いてきた所存にございます。面会できるまで、何時間でも何日でもこちらで待たせていただきます」 門番は手持ちの武器で肩を叩きながら、顔をしかめた。 「見たところ、この辺のやつじゃねえな。こんなところにいると、格好の餌食だぞ。ガキはとっとと帰ってションベンして寝な」 「却下です。営業妨害になるまで居座ってやるぞ、ガタガタ言わずに通せよ」 小さく聞こえた下町の言葉に、あ?と門番が眉を寄せると、今まで頭を下げていた少年が顔を上げた。 「………うおっ」 顔を見て、門番は思わず声が出た。 男だと思っていたので、一瞬焦った。けれどすぐに、声の低さからそれはないと思い直す。美少女と呼んで遜色ないほど、少年の顔は整っていた。 彼がニッコリ笑う。鮮やかな金の目が閉じられて、丁寧さの中に不遜な雰囲気が加わった。 「これをお渡しください。それとできれば伝言を。『沙耶という少女について、聞きたいことがあります』とだけ」 彼が懐から取り出したのは、複雑な文様の描かれた金属でできた丸い板。 よく貴族が名刺代わりに使っているそれを受け取り、門番は板と少年と、馬車を見た。 馬車のカーテンは固く閉じていて、中に誰が入っているのかは分からない。 「名前だけ聞いておこうか」 「………俺の名前は、夜叉です。主の名前は、今は言えません」 「あんまり期待はすんなよ。うちのボス、こういう誘いは嫌と言うほど受けてるからな」 「はい。できれば急いでくださると嬉しいんですが?」 「……口のへらねえガキだな!」 門番は手で軽く少年の頭を叩いて、仲間に門を任せて建物の中に入っていった。 |