二人の訪問者 #2






階段を昇りながら、さてどういうふうに報告すればいいか、門番の青年は首を捻った。

 マフィアとして新興勢力である氷雨と、友好を結びたいという相手は結構多い。  有能な青年と長い付き合いになるもいい。もしくは、若造だから扱いやすいだろう、とそんな理由から。

 そんなわけで、なんの紹介もない貴族程度、門前払いに決まっている。

(……報告すんのもやだなあ。このあいだ、雪合戦して以来、上司の目は痛いし…)

 腕を組みながら、青年はここ数週間の苦行を思い出した。

 部署で遊んでいたのが彼一人だったので、よけいに風当たりが強かった。一応夜勤明けではあったのだが。

「なにしてんのお前」

 考え事にふけっていた彼は、前から来た人物に気づかなかった。

「が、が…眼竜さま……っ!?」

「その服、当直中の門番だよなあ。持ち場離れて、どした?」

 声をかけてきたのは、書類の山を抱えている眼竜だった。それに気づいて、彼はその場で直立不動になった。

 疾風の右腕で、氷雨のナンバー2。単なる門番の彼にとっては、今まで話したこともない、雲の上の存在。

「は、えーと……今、門の前にこれを持った貴族が来てまして……、一応上司に指示をあおごうと」

 一瞬遅れて、持ち場を離れた理由を思い出す。そして預かっている銅板を眼竜に見せた。

「こんな忙しい時期に来るやつは追い返せっ! 迷惑だっつーの」

 くわっと目を見開いて叫んだ眼竜に、門番は思わず体を引いて、コクコクと頷いた。

「わかりました! あ、と……」

「ん?」

「その貴族が、疾風さまに『沙耶』という少女について聞きたいと言ってましたけど。知らないと言って返していいですね」

 では失礼します、と彼はお辞儀をし、踵を返した。

 仕事ができないと思われたのではないか、と落ち込みながら、早足でこの場から逃げようとして。

 その肩を叩かれた。

「…………………………おい」

「へ? ってて、ててて痛いです!!」

 叩かれたまま握られた肩に力がこもり、門番の青年は悲鳴を上げた。

「ちょっと兄ちゃん、ゆっくり話そう。ちなみに、その話は誰かに言ったか?」

 書類を片手で持って、眼竜は門番の肩を掴んだまま廊下を進む。バランスを崩しながら付いていく彼を、廊下の人が何事かと振り返った。

「い、言ってないです。報告する前に眼竜さまに会いました」

「よし。お前、名前は?」

「楓ですが。というか離してもらってもいいですか」

「カエデくんね、よしよし。んで、来た奴らの特徴はどんな?」

「どんな……執事のような少年しか見てませんが、えらく整った顔をしていました」

「ふーーん」

 眼竜は門番ーーー楓の肩を掴んだまま、何も言わずにエレベーターに乗り込んだ。

 ノンストップで最上階に着いた後は、指示されるまま、下とは全く素材の違う絨毯の敷かれた廊下を進んだ。

 この辺で、楓は自体の異様さに気づく。

 そもそも一般構成員は使用禁止のエレベーターに乗るだけでも大事なのに、一部の人間しか踏み込めない最上階に連れて来られるとは。

(な、なな……なんで?)

 前を向いて歩く眼竜の口は堅く閉ざされていて、聞いても答えてくれなさそうだ。

 楓が頭中にハテナマークをつけている間に、二人はある扉の前に立った。

 それは黒檀でできた驚くほど凝った彫刻が施されたもの。見た目からして重そうで、見る者を威圧する扉。

(ここ、……って)

「入るぞ」

 心の準備もできないまま、ノックもそこそこに、眼竜が扉を開ける。

「……………あ?」

 まず見えたのが、正面に置かれた机に座っている黒髪の青年。

 ペンを握り、机の両端に大量の書類を積み上げている彼は、二人を見て非常に不機嫌そうに声をあげた。

「は、……疾風さまーっ!!?」

「……………人の顔を見るなり、叫ぶな」

 頬杖をついた疾風の眉間に、深く皺が寄る。

「え?なんで!? はい?」

 門番がパニックを起こしている間に、眼竜は彼を部屋に押し込んで扉を閉めた。ついでに、鍵をしめる。

「なんで閉じこめるんですか!?」

「………………………落ち着け。 えーと…楓、だったか」

 疾風に名前を呼ばれ、彼はぴたりと動きを止めた。

「なんで自分の名前を……」

「雇ってる奴の顔と名前くらい、覚えるのが当たり前だろ」

 面倒くさそうにそう言うと、疾風は深く椅子に腰掛けた。

 楓は自分が礼を欠いていた事に気づいて、慌てて手を後ろに組んで直立不動の体勢を取る。緊張はしたままだが、それでようやく周りの様子が見えてきた。

 部屋の壁を埋め尽くすように置かれた本や書類。

 棚の上には高価な調度品、部屋の中央にある机には瑞々しい花が生けられている。部屋の中央部分に置かれたソファは黒革でなんとも座り心地が良さそうだ。

 ソファの向こうに数段昇る階段があって、上に疾風の仕事机が置かれており、右側には窓があった。そして、疾風の隣には不安そうな顔の女の子。

 ………………女の子?

 さっき見たときにはいなかったはずだ。ということは、自分がパニックになっている間に彼女が移動したのだろう。

(うわぁ……)

 楓は思わず口を開いた。今日はよく美しい子どもに会う日だ。

 窓からの光を浴びて、糖蜜色の髪が輝く。ちらりとこちらを見た瞳は、印象的な深い琥珀色で。

 目があったのは一瞬だけで、すぐさま彼女は疾風の椅子の後ろに隠れてしまった。

 ちりん、と首についた細い首輪の鈴が鳴ったのが聞こえた。

「琥珀がこっちにいるって分かってたはずだよな」

「わ〜ってる。でも、話は早いほうがいいかと思って」

 ぽかんとした表情の楓をその場に残して、眼竜は疾風の横に行き、先ほど預かった紋章を手渡した。

 迷惑そうな顔をして、疾風はペンを手で回しながらそれを見る。

「地方の有力貴族の紋章だな。それがどうした?」

「今、門の前にその貴族様が来てるみたいなんだ。お前に話があるんだと」

「そんな不審人物は追い返せ」

「俺も普通ならそうするよ。ただな、そいつが」

 思ったとおりの反応に肩を竦めた眼竜は、巨体をかがめて、疾風の耳元で囁いた。

「ここに『沙耶』って女の子がいないかどうか聞いてきたんだと」

「…………」

 その言葉を聞いた疾風が、息を吐いた。

「話を聞いた門番はこいつだけだ。で、連れてきた」

 急に話を振られた楓が、慌てて姿勢を正す。

 藍色の不機嫌そうな目に射抜かれて、居心地が悪いことこの上ない。そろそろ失神してもいいだろうか。

「……………なるほどな」

 小さく呟いた疾風が、しばらく口に手を当てて考え込んだ。しばらくして、疾風は椅子から立ち上がった。

 楓に近づいて、目の前に立つ。

 氷雨のボスである疾風は、楓より少し背が高かった。けれど、背の高さは問題じゃない。

 決して逆らってはいけない空気が、そこにあった。

「今から、そいつらをここに連れてこい」

「はい」

「ここから出て、ここに来るまで、一切、誰ともしゃべるな。出入りには幹部用の入り口を使え。時間は十分以内に」

「はい」

 質問を許さないその口調に、楓は短く返事をするだけにとどめる。

 その様子に疾風は軽く笑って

「優秀だというのは確からしいな。とりあえず、よろしくな」

「はっ」

 敬礼をして、楓は部屋を飛び出していった。







「俺が行かなくてもよかったのか?」

「そっちの方が騒ぎになるだろ。とりあえずここは、あいつに任せる」

「………あ、の」

 今までずっと椅子の後ろに隠れていた琥珀が、おずおずと出てきて疾風の腕を掴んだ。

 見上げてくる目は、少し不安そうなもの。

 きゅ、と手に力がこもったのを感じて、疾風は口を開いた。

「……悪いけど、部屋に戻っててくれないか?」

「でも」

「琥珀の知りあいなら、ちゃんと呼ぶ。けど違う場合は、姿を見られるのはマズイ」

「ごめんな、琥珀ちゃん。折角ここでのんびりしてたのに」

 眼竜も申し訳なさそうに、琥珀の頭に手を置いた。

「…………ううん…大丈、夫」

 頷いて、ほんの少し笑顔を浮かべた琥珀は、ソファの上に置いてあった冊子を持って、部屋を出て行った。

「さあて、鬼が出るか蛇が出るかねえ」

「どちらにせよ、あまりいいものじゃないな」

 ソファに座った疾風は、背中をべったりつけて腕を組んで目を閉じる。

 眼竜は持ったままだった書類を、作業机の空いたところに置いた。これで、作業スペースは完全に埋まってしまう。

「ところで、よくあいつの名前を覚えてたなー」

 眼竜が言う。

 様子からして、門番としての分別はありそうだが、『楓』という名前を目立って聞いたことはない。警備関係の全権を持っている眼竜も知らないのだ、大量の構成員を使う側の疾風が知っているのはさすがだった。



 疾風はその問いに少し考えてから、言った。

「先日、雪合戦してた奴の一人だ。 それがなきゃ、全然知らなかった」

「…………ああ、そう」


























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