二人の訪問者 #5






 琥珀は楓の言葉を聞いた後、疾風の仕事場まで急いだ。

 気持ちが焦って、走る足がもつれて何度か転びそうにあった。だが、なんとか耐えて扉の前まで辿り着く。

 少しの距離なのに、心臓がドキドキして呼吸が乱れる。何回か深呼吸をして、目の前の木製の、重い扉を見上げた。

 防音の効果もあるので、中の様子をうかがい知ることはできない。けれど、ここに懐かしいあの二人がいるはずだ。

 琥珀は、もう一度息を吸って扉に手を伸ばし。

 ノブに触れる間際で動きを止めた。

「……、………」

 頭の中で不意に疑問が生じて、体が動かなくなった。

『開けていいんだろうか?』

 コクリ、と唾を飲み込んだ喉が鳴る。先程までの高ぶった気持ちが、急激に冷えていくのを感じた。

 空木と夜叉の名前を聞いて、真っ先に思い浮かんだのは昔のこと。貴族のところは嫌な場所だったけれど、優しい二人に沢山助けてもらった。その時だけは、寂しくなかった。

 そんな二人を、自分のワガママで危険な目に合わせた。

(……………そう、だ)

 その場所から逃げたくて、脱走しようとしている琥珀を助けてくれた。  けれど結局捕まって引き離された後は、生死すら知らされず琥珀は別の貴族の所へ移された。

 なぜ、今まで忘れていたのだろうか。

 こんな大切なことを。

「……………」

 手をノブの方に伸ばしたまま、琥珀は一歩後ろに下がった。どうするべきかの判断がつかず、しばらくその場に立ちつくす。

 カチャ、と音がしてノブが回されたのは、すぐあと。人が出てくることに気づいて、琥珀は慌てて近くにある柱の影に隠れた。

 そこから扉の方を覗うと、部屋から二人の少年が出てきた。

「なんだよ、てめえ、覚えてろ!」

「……夜叉は本当に喧嘩っ早いよなぁ」

 歯を剥いて威嚇する黒髪の少年を、金色の髪の少年が諌める。その姿を見て、自然と琥珀の眼から涙が出てきた。

 記憶にある姿から幾分成長しているが、見間違えるはずはない。

 彼らだ。大好きな、懐かしい相手。

「夜叉……っ、空木っ」

 堪えきれず、琥珀は柱の影から飛び出して二人に駆け寄った。

 名前を呼ばれて、一瞬表情を固まらせた二人は、それが誰か分かって顔をほころばせた。

「っ琥珀!」

「琥珀!?」

 驚いた表情の後、顔中くしゃくしゃにして笑った夜叉が、近づいた琥珀を抱きしめた。そのまま、彼は乱暴な手つきで琥珀の頭を撫でた。

「元気か? しっかりご飯食べてんのか」

「う、んっ」

「そっか、よかった!!」

 真っ直ぐな言葉に琥珀が何も言えないでいると、夜叉の頭をコツンと空木が叩いた。

「お前ね、もうちょっとマシな再会の言葉があるだろ」

 空木も琥珀の方に向き直り、頭を撫でた。そして手を差し出す。

「でも、まあ俺も言うことは同じか。元気そうで、よかった!」

「ん。二人、が無事で……うれっ……」

 その手を取って言葉を全部言い終わる前に、琥珀の全身に鳥肌が立った。溢れていた涙も、止まる。

 それは三人同時だったのだろう。全員が、動きも会話も止めて、ぎこちない人形のように後ろを振り返った。

「……っ」

 そこには、扉に手を置いたままこちらを見る疾風の姿。まだ手を握っているのに気づいて、琥珀が慌てて空木から離れる。

 だが、体を動かせたのはそこまでで。一向に引かない殺気が、肌をピリピリと刺激した。口の中が乾いて、唾を飲み込むことも苦労する。

「疾風、大人げない」

 眼竜の声がして、ぽん、と彼が疾風の肩を叩いた。それを見て、疾風が軽く鼻を鳴らす。

 そこでようやく緊張が解けて、三人とも脱力してその場に座り込んだ。感覚が戻ってきて、自分たちが無意識に呼吸を止めていた事に気づき、慌てて酸素を取り入れた。

 疾風は廊下を進んで、喉に手を当てて空気を吸い込む少年たちを一瞥した。

「さっきまでの威勢はどうした?」

 藍色の目を細めて、彼は口元に冷笑を浮かべる。

「俺を相手にするのは、まだ十年は早いな」

 何も言い返せない空木と夜叉から視線を外し、疾風は眼竜を振り返った。面倒臭そうに二人をさして、口を開いた。

「丁重にお帰り願え」

 あいよ、と頭を掻きながら眼竜が前に進み出た。

 ガシッと眼竜が二人を捕まえて、肩に持ち上げる。そのまま重さを感じさせない動作で、エレベーターの方へ向かった。

 すでに階に止まっていた箱の、鉄の柵が開くと眼竜はそこに二人を投げ入れて、自分も乗り込んだ。

「話すことがあれば、こちらから連絡させてもらおう」

 ひらひら、と手を振っていた疾風は、柵が閉じる瞬間に琥珀の腕を引っ張って立たせた。

「?」

 まだ緊張感から抜けきれずに、足元がふらつく。よろめいた琥珀の腰に手をやって、疾風はその華奢な体を支えた。

「……、あの、……っん!?」

 琥珀の言葉には応えずに、疾風は琥珀の顎を持ち上げた。

 そして性急に交わされた口づけに、琥珀は目を見開いて体を震わせた。

 思わず腕で体を押し戻そうとするが、腰にしっかり手が回っていて逃げられない。そんな抵抗に構わず、疾風の舌が口の中に滑り込だ。

「ふっ……ん、ん」

 逃げようとする小さな舌に絡ませて、口の中を刺激する。吐息が混ざる。

 どこか遠くから夜叉の怒声が聞こえた様な気がしたが、すぐに静かになった。

「っ、や……、……ん、やっ」

 あの二人に見られたと思うと、恥ずかしくて顔から火が出そうだった。勝手な疾風に腹が立って、呼吸の合間に必死で体を離そうとしたが、力の差は歴然だった。

 せめてもの抵抗に、必死に口を閉じていたら、疾風がゆっくりと口を離して琥珀を見つめた。

 いつもされてばかりではいられない。琥珀は顔を真っ赤にして、疾風を睨み付けた。

 けれど、相手はそれに頓着した様子はなかった。世間話でもするように、琥珀の髪を楽しそうに手で梳きながら、言う。

「ところで、聞きたいんだが」

 口を真一文に結んで、こちらを見る琥珀に、疾風がにっこりと笑いかける。

「あの二人が来ているって……誰に聞いたんだ?」











「こ……っ、おま……なにしてんだコルぁ!!」

 一方、エレベーターの中では夜叉が半狂乱になってすでに見えなくなった疾風相手に叫んでいた。危ない、落ちると何度眼竜が言っても、聞き入れずに騒ぎっぱなしだ。

「説明がいるなら、するけど」

 耳を押さえていた眼竜がはぁ、と息をついて言う。夜叉はそんな眼竜を睨んで、さらに叫んだ。

「いらねえよ! わかってんだよそれくらい! あーもう、あいつ絶対見せつけてるよなぁ、空木も何か言ってやれ!」

「いや、まあ、そういう仲なのは聞いてるし……」

「そう言う問題じゃねえよ!」

「はいはい。悔しいよ。超悔しい。本当に、俺たちじゃまだ太刀打ちできない……」

 まるで蛇に睨まれた蛙のようだった、と思う。

 話をしているときでも、少年二人を萎縮させるくらい容易いことだったはずだ。だからこそ、余力を残して適当に追っ払われた、という事実に歯がみする。  それに。

「琥珀に……情けないところを見られた……」

 落ち込む空木に眼竜が頬を掻いた。

「いや、まー疾風の殺気に耐えただけ立派立派。 普通の奴なら失禁するか悲鳴上げて逃げるかだからな」

 パタパタと手を振ってあっさり言う眼竜に、二人がじとっとした目を向ける。

 上階から下へと移動するエレベーターの速度は、とてもゆっくりだ。しばらく静かな時間があって、空木が眼竜を見た。

「あの、もし……俺たちが来たことで、琥珀に迷惑がかかるなら、それは本末転倒もいいところです。あの様子だと、この後のことが心配なんですけど……」

「ま、最悪のことにならないようにはするから」

「俺たちは本当に、琥珀が無事かどうか確かめに来ただけです」

 真摯な目を見返して、眼竜はへらっと笑った。

「まあ、そういうことにしておこうか」

「……信じてもらえませんか?」

「いいよ空木、こんな連中に丁寧にしなくても」

 アッカンベーをした夜叉を、空木が無言で殴った。

 その後も狭いエレベーターの中でヤイヤイ言い合いをする少年二人を見て、上層階を仰ぎ見て。眼竜は溜息をついた。


























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