探しモノ #1






 最近になって、琥珀は『あるモノ』が自分の近くにないことに気づいた。

 いや、正確にいうと今までは気にもとめていなかった、という方が正しいかもしれない。それがなくても困らなかったから。

 少し気になることがあって、『それら』を探した時に、あれ? と思ったのだ。あるはずのものが、ない違和感。

 けれど、その時は軽く部屋を見回したくらいだから、もしかしたら探しきれなかっただけかもしれないと。

 琥珀はその日、疾風の自室をぐるぐる回って『それら』を探していた。

「……やっぱ、り、ない……」

 開いていた本を元通りに戻して、琥珀は呟いた。

 部屋の主は、午前中に眼竜と一緒にどこかに出掛けている。花梨も『修行』に出ているので、日中は一人きりで過ごすことも多くなった。

 建物の最上階にいる人は、もう見知った人ばかりだし、行動に制限もない。どこでも自由に動いて良いことになっている。……下の階に行かなければ。

 琥珀は机の上の書類をそっと持ち上げて、元通りに戻して重しを乗せた。

「ん……と」

 何度目だろう。

 棚に並んだ本の背表紙を追いかける。残念ながら難しい字は読めないものの、分厚いもの、薄いもの大きなもの、小さなもの様々なそれに指を当てて辿っていく。

 たまに本を出して、中身をめくっては戻すことをくり返し。

 一番端まで来たところで、小さく落胆の息を吐いた。しかしすぐに、琥珀は顔を上げて手を叩いた。

「仕事、部屋……!」

 思いついて、マスターキーが置いてある戸棚の引き出しを開ける。

 けれど。無防備に入っていたはずの鍵は、姿を消していた。

「……………………」

 トン、と軽い音とともに引き出しを閉じる。

 楓の時に使ったので、疾風が警戒しているのかもしれない。さすがに重要なものがたくさんある仕事部屋は、鍵が無くては入れない。

 ぺたんとソファに座って、琥珀は首を傾げた。

 これはどういうことだろうか。

「地図、と新聞………どこにも、ない……」

 食堂では新聞は何度か見かけたことがあった。疾風が読んでる姿も見たことがある。

 けれど、そのまま置かれていることはまず無くて。

 だから琥珀は外の世界でなにが起こっているのか、全く分からない。

 分からなくても生きていけるし、そういう生活が長いから今までなんとも思っていなかったのだが。

「…………んー…?」

 もう一つ探しているのが、地図だ。

 ここは国のどのへんか。どれくらい広いのか。それすらもわからない。

 氷雨の本拠地のあるアンダーリバーがどういうところか、というのは花梨に教わった。窓を開ければ、ほとんど地平線までを建物で埋め尽くされて、町がいかに大きいのかということはわかる。

 琥珀が知っていることは、それだけだ。

(どこ、に……あるのかな)

 ソファにそのまま体を倒して、目を閉じる。頭の中で今まで探したところと、まだ探していないところを思い浮かべる。誰が持っていそうだろうか。確かめたいことがあるのに。

「あ」

 閃いて、琥珀は起きあがった。







 すでに夕方に近い時間、調理場では沢山の人が忙しそうに仕込みをしている。

 琥珀は入り口から中を覗きながら、誰かに話しかけるタイミングをはかっていた。調理人たちとも面識があるとはいえ、顔見知りが邪魔をして思うように声をかけられない。

 一番仲のいい料理長は、部屋の奥で誰かと話しをしている。

 中に飛び込もうか、やめておこうか、決められずに。すでに十分が経過していた。

「何してるんですか?」

「!?」

 そわそわしているところを、箱詰めのジャガイモを持った青年に声をかけられた。

 振り向いた琥珀は、その顔を見てほっと息を吐く。調理人の一人で、人当たりが良くて、優しいお兄さん。この人なら、と琥珀はその近くに駆け寄った。

「さ、探し物……っ、してるの」

「ん? 食堂に?」

 口下手な琥珀が慌ててうなづくと。彼はジャガイモを置いて小さい子にするように目線を合わせてくれた。

「何を探してるのかな?」

「えっと、地図、と新聞!」

 にこやかな笑みのまま、青年は固まった。

「? あの……」

 数秒経っても言葉が返ってこないので、頭にハテナマークをつけた琥珀。声をかけると、青年は慌てて、視線をそらした。

「え……新聞……?」

「新、聞……と地図」

 聞こえなかったのかと思って、小さくもう一度くり返した。予想外の反応に戸惑う琥珀を見て、青年は頭を掻いた。

「いやごめん、ちょうどさっきまとめて、縛って捨てたところです」

「………」

「地図はどうだろ……とりあえず食堂には置いてないなぁ。ごめん」

 謝罪に首を振る。

 ないものは仕方がない。仕事中の手を煩わせるわけにもいかないので、琥珀はお礼を言って食堂を出て行った。

「………参ったな」

 しょげて去っていく背中を見送っていた青年が、呟く。机の上に置いた箱を再び持ち上げて、彼は調理場へと入った。

「おい、早くしないと仕込み終わんねぇぞ! 手を動かせ!」

「あ、はい! すみません!」

 料理長の檄に頷きつつ、彼に近づいた青年はこっそり耳打ちした。

「今、琥珀様が、新聞とか地図がないか聞いてきたんですけど……」

 スープをかき混ぜながら、目をまん丸にした料理長は、あちゃーと顔をしかめた。

「……………どうしたらいいですか?」

「どうもこうもねぇよ。俺たちは言われた通りするだけだ。………ちゃんと誤魔化しただろうな?」

「ちょっと、不意を突かれたんですけど、それなりに……」

「お前しくじるなよ。 外のことは一切教えるなって言われてるんだからな」

「……はい。でも何ででしょうね」

「それは、お前が口出しすることじゃねぇな」

 さっさと仕事に戻れ、と料理長は青年を追い払う。

 溜息をついて、青年は食堂の棚に隠してある新聞を机に広げた。床にぎっしりとじゃがいもの入った箱と、大きなボウルを置いて。剥いたジャガイモの皮を新聞紙に無造作に乗せながら、彼は下ごしらえに取りかかる。

 その様子を目で追ってから、二十年以上の歳月を勤め上げている料理長は、料理の仕上げに意識を集中させた。
















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