バサ、と疾風は世界地図の上に、2枚目を乗せた。自国の地図だ。 巨大な島国の右側に位置している国なので、左側に陸地、右側に海が描かれている。歪な図形の国土。その地図のそこかしこには、英字で地名が書かれていた。 「…………………………」 じぃっとその地図を見ていた琥珀は、疾風を振り返った。 「アンダーリバー、は?」 「ここ」 海にもほど近い、地図の一点を指す。川が四方から流れてきている様子も描いてあった。琥珀はきょろきょろと周りを見て。 「霧生様、のところ、は?」 また問いかける。 疾風の指がアンダーリバーから左上へ、地図をたどった。 「ここ、は?」 今度は琥珀の指が地名を指した。それを覗き込んで、疾風は丁寧に答えていく。 いくつもの名前。 華奢な指が九個目に指したところを見て、疾風は瞬間的に答えに詰まった。 「ーーーキョクフウ」 動揺は気づかれなかっただろうか。 2,3個指した後、もう一回地図を見て、琥珀は疾風を振り返った。 「……ありが、とう。」 「どういたしまして。で、新聞は?」 かさりと折りたたまれた新聞を頭の横で振れば、ぱっと琥珀は顔を輝かせた。 渡されたそれを眺めていた琥珀。時間が経つにつれて難しい顔になった。 予想通りといえばそうなったので、疾風は苦笑する。『読めない』とは口が裂けても言わなさそうだけれど。 「………む、……ぅ」 「今の大きな話題といえば、これかな」 頭から煙が出そうなところで助け船を出した。 新聞の中でも大きくスペースをとった記事。そこにはこの国の皇太子について特集が載せられていた。 結婚適齢期であるというのに、嫁候補に振り向きもしない。この国はどうなるのか。そんな話題。 「平和でなによりだ」 異国では戦争をしている国同士もあるというのに。 ちょこんと座った琥珀がへいわ、と言葉を繰り返す。その頭を撫でながら、疾風は思った。 (それにしても……) 「琥珀に伝えてないよな?」 翌日。仕事場にやってきた眼竜に、疾風が詰問する。 おはよ〜さん、と扉を開けた瞬間、胸ぐらを掴まれて引きずられた格好になった眼竜は、プルプルと首を振った。 「言ってねぇって。そもそも、俺、あれからなんだかんだで琥珀ちゃんに会ってねぇもん」 無実を訴え続けて五分。ようやく解放されて床に手をついた眼竜を、疾風は冷たく見下ろした。 「あの二人がいるのは、キョクフウ地区だな」 氷雨を訪ねてきた二人を帰した後、こっそりと馬車でつけた眼竜。着いたのは、アンダーリバーから二時間程度離れた、キョクフウ地区であった。 貴族の跡取りが住むにはこじんまりした屋敷に、二人が入っていくのを確認して、疾風に報告。それ以降は誰にもなにも話してはいない。それくらいの分別はつけている。 「……偶然、にしては出来すぎだな」 地図を見たいといった琥珀の言動の全てが。何かの意図を持っているようで、疾風は眉をしかめる。 元々、頭のいい子だ。なにか、企んでいる可能性はある。 「………今からでも、問い詰めて…」 「あー待て待て待って下さい疾風さん。顔が超怖いんですけどー」 ゆらりと動き出した疾風を押さえて、眼竜がなだめるように言う。 「お前なぁ、女の子に何する気だっつーの。いいじゃねーか、地名知ってるくらい」 「脱走したら困る」 「ハムスターか!」 「一回してるだろ」 そう言われて、眼竜がぐ、と言葉をのむ。 確かに昔、琥珀は氷雨の保護下から抜け出て、外へ出て行ってしまった事がある。馬車に乗る知識も、土地勘もない彼女は案の定迷って、大変な事になりかけた。 氷雨総出で探したのも、覚えている。脱走を手引きした女性二人の死も。 「でも琥珀ちゃんは自分の意思で『ここにいる』って言ったんだろ。これ問い詰めたら、疑ってることにならねーか?」 今度は疾風が痛いところを突かれた。 「場所を知ってるのも仮定の話だし。あいつらと話したっつってもすぐにお前の横槍が入って、場所伝えるどころじゃなかったろ」 「……眼竜のくせに」 「何か言ったか!?」 ぼそりとした呟きに肩を怒らせた眼竜をふりほどいて、疾風は息をついた。 「わかった。今回は保留にしといてやる」 「マジで? お前が俺の言う事聞くの珍しいな。あーじゃあ、頼みついでにもう一つ、例の」 「断る」 話す前から切って捨てられたお願いに、眼竜が泣き落としにかかった。 「頼むよ!! 本当に労働力不足で死活問題なんだって! あの門番……えーっと、そう、楓! 最上階の警備組に入れさせてっ」 「姿見るたび殴っていいか?」 「駄目です!!」 悲鳴を上げた眼竜を見て、疾風が露骨に嫌そうな顔をして舌打ちする。しかしそれ以上反対はせず、席に戻って仕事の続きを始めた。 これは話を進めてもいいということかな。 そう判断をして、眼竜はほっと胸をなで下ろした。 自室で、琥珀はクローゼットを開けた。 疾風の父親から贈られてくるたくさんの服が入っているそこに、小さな棚がある。彼女はその一段目に入っていた箱を取り出した。 少しだけ、きょろきょろと周りを見回す。 そしてもちろんだが、部屋には誰もいない事を確認してその蓋をあけた。 中には小さな硝子でできた動物や、造花の髪飾りが入っている。疾風や花梨、眼竜から貰った、琥珀の宝物だ。 その箱の一番下、敷いている布の下から、琥珀は紙切れを取り出した。 広げると、中に空木の名前と、文字と数字が並んでいる。ひらがなで書かれているのは、少しでも読めるようにという配慮だろうか。 あの日。 廊下で空木と握手をしたときに、手の中に入ってきた小さな紙。その中身を聞く前に、疾風に見つかって思わずポケットに隠してしまったもの。 文字と数字はきっと住所。ここに二人がいるのだろう。 疾風に渡すべきか悩んだが、結局琥珀はこの紙を秘密に仕舞いこんだ。 渡したら恐らく、返ってこないと思ったから。 几帳面な文字が躍るその紙は、琥珀にとっては、かけがえのない大事な親友たちとの接点だ。 一生その住所に行くことはなくても、二人に会えなくても持っていたかった。あの再会が現実だったという、確かな証として。 「キョク、フウ……」 バレなかっただろうか、いきなり地図が見たいなどといって、不審に思われなかったか。昨日の疾風とのやりとりを思い出せば、未だに冷や汗が出る。 けれども、二人がいる場所の大体の方角は知れた。それが、嬉しい。 琥珀は紙切れを小さく畳むと、見つからないようにとまたひっそり箱に隠した。 |