「squall」






  「……わあ……!」

 少女は眼前に広がる青い海を見て感嘆の声を漏らした。

   ザ…ザザ……ン
 真っ白な砂の上を波が打ち寄せる。
 吹き渡る風が、日除けの為に被った鍔広の帽子を、細い金糸の髪を、身に纏った白
いワンピースを揺らしていく。

「海……おっきいんだね」
「ああ。そうだな」

 華奢な少女を護る騎士のように傍にピタリと寄り添っている長身の青年が、そう言っ
て帽子の上から頭を撫でてやる。

「もっと近くへ行ってみたらどうだ?」
「う、うん…!」

 まるで一大決心、といった具合に両手をグッと握り締めると、ゆっくりと砂の上を波打ち
際に向かって足を踏み出した。
 その様子を青年は微笑ましげに見つめている。

 泳ぐには少し遅い今の時期の浜辺には二人の姿しか見当たらない。
 本当はもっと早く連れてきてやりたかったのだが、疾風の仕事の関係から予定が延び
に延びて、夏も終わりかけの今頃になってしまった。

 この休みですら半ば無理やりもぎ取ったようなものだ。

 だから、出かける寸前まで勿論仕事をしていたし、今夜は長らく使用していなかった近
くにある別荘に泊まるのだが、翌朝一番で戻らなければならないという強行軍である。

 氷雨のボスという立場上仕方がないが、折角琥珀と二人きりで出かけるのだしもっとゆ
っくり旅行を楽しみたかったと思う疾風だった。



 サンダルを履いた足を砂に取られながら何とか波打ち際まで辿り着いた琥珀は、寄せ
ては返す波を不思議そうにじっと見つめている。

  「泳ぐのは無理でも足くらいならまだ浸けても大丈夫だぞ」

 彼女と違って全く危なげない足取りで、ザクザクと砂を踏みしめながら傍まで歩いてきた
疾風がそう言って促した。

「あ…うん」
「ガラスでも落ちていたら足を怪我するから裸足にはならずサンダルのままでな」
「え…でも…」

 海に来る為に疾風に買って貰った白いサンダルなのに、濡れたり砂で汚れてしまうのが
嫌で思わず躊躇っていると青年が笑いながら頭を撫でてくる。

「濡れたら乾かせば済むし、汚れたら洗えば良い。物よりお前の身体のほうが大事だか
らな」

 少女を見つめる藍色の瞳には優しさと溢れんばかりの愛しさが湛えられていて―――
―些か鈍いところのある彼女でもさすがに感じるところがあるのか、かあっと頬を赤くする
と伏目がちに「う、うん」と頷いてからぎこちなく海へと向かって足を踏み出した。

 そんな琥珀が可愛くて益々笑みを深くする疾風は、ふと足元に視線を向けて、そこに綺
麗な桜貝が落ちているのに気付くと、身体を屈めてそれを拾い上げる。

 波に洗われていても形がそのまま残っているそれを後で琥珀に贈ろうと決めて、ポケッ
トからハンカチを出して大事に包むとまたポケットへと仕舞った。

「……わ…つめたい…」

 おそるおそる、打ち寄せる波に足を浸けてみた少女は、それは水なのだから当然のこ
とを思わず口にしてしまう。

「でも……気持ち、いい…」

 表情も乏しければ口調も感情が篭っていないように聞こえるが、これでも彼女が心から
そう思っていると疾風には判る。

「疾風、さま」
「ん?」
「あの、ね…」
「ああ」
「……えと……連れてきてくれて、ありがとう……」

 俯いたまま照れ臭そうに少し頬を染めて礼を言う琥珀に青年が答えようとした時、少し
大きな波が打ち寄せてくるのが見えたので慌てて少女の下へと駆け出す。

「琥珀!」
「…え? っ、きゃあっ!」

 思わぬ事態にバランスを崩してしまった少女は、彼女を庇おうとした疾風ごと砂の上に
倒れてしまい、その直後打ち寄せた波を被る結果となってしまった。 

「「……………」」

 思わず二人して無言のまま顔を見合わせている。
 幸いにも頭に塩水を被ることはなかったが、下半身はビショビショになり、おまけに砂で
汚れてしまった。
 特に琥珀の薄いワンピースは濡れたことで透けており、形の良いほっそりした白い足に
張り付いて、何とも言えず艶かしいことになっている。

「………あー……悪い。間に合わなくて」

 疾風は、こんな姿の少女を他人に見られることになっていたらと、この場に居るのが自
分だけで本当に良かったと心底思いながら謝った。

  「う…ううんっ…わ、私こそ…ごめんなさい……」

 どうしてこう何時も迷惑ばかりかけてしまうのだろうかと、目に見えてしゅんとした様子の
少女に、 青年は苦笑を禁じ得ない。

「近くまで行けと言ったのは俺だぞ。こういう不測の事態を予期してなかったのがいけなか
ったんだから、気にするな」

 当然ながら帽子も飛んでいってしまい、小さな頭に直に触れてくしゃくしゃと撫でてやる。

「…う……うん…」

 まだ何か言いたそうだったが、主人である疾風にこれ以上気を遣わせてはいけないと
思ったのか頷いてみせた。

「とりあえず、戻るか。風邪を引いてはことだからな」

 そう言うと、塩水がかかってしまったがないよりはましだと――何より、誰も居ないとは
いえ少女のこんな姿を隠したい気持ちから――自分の上着を脱いで琥珀の肩にかけた
途端に可愛らしいくしゃみが聞こえた。

「あ……」
「……言ってる傍から、だな」

 彼は、言ってから徐に手を伸ばして少女の軽い身体を抱き上げる。

「は、疾風さま…じ、じぶんで、歩ける…から、いいよ…」

 慌てる琥珀に「良いから。このほうが早い」とピシャリと告げて黙らせると、あんなに晴れ
ていた空に何時の間にか黒い雲が広がってきているのを見て急ぎ足で浜辺を後にした。





 疾風の嫌な予感は的中し、別荘に辿り着く前にポツポツと降り出した雨は次第に激しさ
を増して二人の身体を更に濡らしていく。
 まだ暑いとはいえ、二度も濡れてはさすがに身体も冷える。


 別荘まで戻ってくる頃にはビショビショになっていて、抱きかかえていた琥珀を玄関先で
下ろすと、鍵を取り出し急いで中へ入った。

「先に風呂に入るぞ」
「う、え…」

 服を絞って水気を切ろうとしていた少女は彼の言葉にビクッと身体を揺らし、そのまま
固まってしまう。
 今更なのに未だに彼女は二人で風呂に入るということに抵抗があるらしい。


 ―――――まあ、そんなところも可愛いんだがな。
 そんな惚気たことを考えている彼の耳にポタポタと雫が落ちる音に紛れて小さな声が聞
こえてきた。


「……は、疾風…さまが、先に…」

 言いながら、明らかに身体が冷えてしまったことで微かに身体を震わせている琥珀に呆
れたような吐息を漏らす。

「何を言ってる。寒いんだろうが」
「うっ」
「俺だって寒くはないが水に濡れて気持ち悪いしな。それなら二人で入ったほうが早いだろ
う」
「………でも…っ…!」

 それでも尚言い訳をして何とか避けようとする少女の腕を強引に掴んで風呂場へと向
かう。

「あ…は、やて、さまっ」
「……良いから。いい加減観念しろ」
「っ」

 そうやって低く命じると、さすがにペットとして身に染み付いた習性は中々消えないのか
大人しくなった。





 氷雨の自室に備え付けられている風呂場よりは大分作りが小さなそこで、二人は立っ
たままシャワーから降り注ぐ温かな湯を浴びている。

 冷えていた身体は温まってきたが、青年と浴室内で抱き合うような格好で湯を浴びてい
ることで別の意味で身体が熱くなってくるのを感じて、 恥ずかしさから俯きがちになってし
まう。

「………どうした? 琥珀」
「……な……なんでも…ない、です……」
「ふうん?」

 疾風は片眉を上げて呟くと、浴室内も少女の身体も十分に温まったと判断して、腕を伸
ばすとコックを捻って一端湯を止める。

 それから、ボディーシャンプーを掌にたっぷりと取ってゆっくり泡立ててから、 一体何を
するのかと上目遣いにこそっと――のつもりだが、彼にはバレバレである――見上げて
くるその表情がまた危険なほど愛らしく、思わず口中に沸いた唾を飲み下すとその華奢
な身体へ手を伸ばした。

「…っ!?」

 泡に塗れた大きな手が身体に触れた瞬間、ビクッと肩が触れる。
 制止する間もあらばこそ、そのまま身体をなぞる様に手が滑っていく。

「…ん……んん…っ、…やて、さ……あ…っ!」

 まるで愛撫のようなそれに琥珀の身体がピクピクと揺れる。

「…ん? どうした? 琥珀」
「や……あぁ…っ!」
「汚れてしまったからな…綺麗にしておかないと」
「…ん、そ……そこ、は…ぁっ…」


 汚れていない、と言いたいのに声にならない。
 クスクスと意地悪く笑って、一番敏感な場所を刺激してくる。

「…っ! ゃ…っ!」

 泡だらけの身体で必死に目の前の青年の逞しい身体に縋り付くが、滑って上手くいか
ない。

「……琥珀」
「ん…っ!」

 その場に頽れそうになりながら可愛らしく喘いでいる少女に覆い被さるようにしてその小
さな口唇を自分のそれで塞いだ。

「…っ、はぁ…っ…」
「…ん……っ、ふ…」

 直ぐに深くなる接吻。
 何時の間にシャワーのコックを捻ったのか、頭上から湯が滝のように降り注ぐ。






 熱いお湯と深い接吻の両方ですっかり逆上せ上がった身体はふわふわと心許ない。
 気付いたらまだ濡れた身体もそのままにベッドに横たえられていた。

「……は…や…て…さま…?」
「琥珀…」  

 吐息のような声が下りてきて、また、接吻けられる。
 舌を絡ませられ、注がれる唾液を飲み下す。

「…ん…っ、あ」

 風呂場で身体を洗っているのとは違う、少女を感じさせようという明確な意図を持って
大きな手が動き出すと、甘い声が漏れ、くっと華奢な背中が反れる。

(……あ……気持ち……いいなあ……)

 段々と霞がかかってくる意識の中で、青年の愛撫に翻弄されながらもそんなことを思う。

 ペットだった琥珀は、性的な経験はある意味豊富といえる。
 けれど、それは何時も強いられるもので自ら望んだものではなく、主人の機嫌を損ねな
いようにする為の手段でしかないものだった。

 一方的な行為に傷付かないように身体は濡れるようになり、慣らされてもきたがそれに
反比例するように心は冷めていく一方で、実際のところ本当に気持ちが良いと思ったこと
は一度もなかった。


 疾風に地獄のような生活から救い出して貰い、彼と肌を合わせるようになって初めてこ
の行為が気持ち良いものだと思えるようになったのだ。



 それは、彼のことが好きだから。

 気付けば何時の間にか自然と好きになっていた。

 最初は、救って貰ったことに対しての『感謝の』気持ちしかなかったけれど、共に暮らし
ていく内に恋へと変わ っていったのだ。



「…ふ…あ、ああ…っ」

 ゆっくりと彼が中に入ってきた。
 自分の身体に合わないのは明らかな大きなモノを受け入れる時、少女の身体は強張っ
て、痛みと生理的なものからボロボロと涙が零れてしまう。

「……琥珀、琥珀…」

 その度に優しく何度も名前を呼びながら、気を散らす為身体を愛撫してくれる。
 大きな彼の手は、意外なほど器用に繊細に動いて快楽を引き出していく。

「……は、やて、さま…っ!」
「辛いか…?」

 弱々しく震える手を伸ばせば、その大きな手で力強く握り返してくれる。
 だから、『大丈夫』だと言う代わりに、ふるふると首を振った。

 それを合図に彼が動き始めた。
 最奥を何度も突かれて琥珀の口から嬌声が上がる。

 好き……大好き。

 声に出さずに心の中で何度も叫ぶ。

 疾風様が好き。
 一度拒絶されてからは口にしたことはないけれど、好きな気持ちは消せないから。
 勝手に好きでいることは良いよね?
 それだけはどうか許して欲しい。


 どうか、好きでいさせて下さい。
 それだけが、今の琥珀の唯一つの願いだった。





 疾風は、気持ちよく意識を飛ばして眠っている少女の寝顔を見つめて少し切なげな微
笑を浮かべると 、触れるだけの接吻を落とす。

「………琥珀………」

 そして、そっと『その言葉』を囁くと、自分も眠りに付く為に華奢な身体を胸に抱き込む
と目を閉じた。

 眠りの淵で『その言葉』を聞き取ったのだろうか、彼は気付かなかったが、少女の口元
に幸せそうな笑みが浮かんだ。



    END







真柴さまからいただいたSSです。
らぶえっちキャラの質問からヒントを得られたそうです。

琥珀可愛くないですか? すんごく可愛くないですか!?(しつこい)
読んで鼻血でそうになりましたよマジで。おお、襲いたい・・・。
初めはらぶ・中はいちゃいちゃ・終わり切なめでごちそうさまでした。

ペット時代の話とか、二人の気持ちの行き違いとか、すごく説明が上手で。
この話さえ読めば、ぶっちゃけ本編なんていらないと思いました。


あまりの感動にまとまった感想なんて書けません。
人生初・頂き物SSということだけ記しておきたいと思います。

真柴さま、本当にありがとうございました!!!
















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