※注意※ 疾風が壊れぎみです。すみません。  



   マフィアは人を脅して金を巻き上げればいいので楽な仕事だと、誰かが言っているのを聞いた
ことがある。

 本当にそれで金が入るなら、恐らく世界で一番簡単な仕事だろう。全くの同感だ。

 けれどそれなら、氷雨の構成員に何人も過労で倒れる連中が出てくるのは何故か。

 それは、きっと今見ているようなくだらない内容の嘆願書まで処理しなければいけない、組織とし
て悲しい義務の所為だろう。

 短期的に儲けるなら強盗だろうが略奪だろうがすればいい。
 けれど、長期的に金銭を得るためには住民を味方につけておくのがなによりの有効策だ。

 だから住人の困り事などは出来るだけ早い内に、解決しておくにかぎる。が

(…………平和だな)

 目を通している書類は裏路地に出る迷いタヌキが、食べ物を食い荒らすので困っているという
報告書だった。

 つーか、こういうのは現場でどうにかしてから報告あげてこいって何度言えばわかるんだあい
つらは。

「ーーーーーーーーーチッ」

 知らず、舌打ちをする。

 その瞬間分かりやすいほど反応した人物がいた。

 頭を軽く掻きながら書類から眼を上げる。と、少し離れたソファに座っている少女と目が合った。

 彼女はなにやら焦った様子で、手に持っているチョコレートケーキを泣きそうな顔で見た。

「…………気にすんな。こっちの話」

 そもそもケーキは関係ないぞ?

 言っておかないと、よくないことを考えてぐるぐる悩むに違いない。
 それが分かっているから、フォローを加える。

「う、ん……」

 再び腹立たしさ以外感じない書類に目を戻すと、ほっとしたように息を吐く声が聞こえた。





悪魔とチョコレートケーキ






 日中はずっと仕事場で作業をしているのだが、たまに気晴らしを兼ねて自室に仕事を持ち込む
ことがある。

 はっきり言って書類の束を移動させるのは疲れるし、資料も少ないから文書作成にはあまり効
率的とは言えない部屋だ。

 しかし、それでもここを使う理由は。


 普段は建物内をウロウロしている琥珀が、顔を見せに来てくれるから。


 特に会話があるわけではない。彼女はソファに座ってお菓子を食べたり本を読んだりしている
だけだ。

 けれどその様子を視界の端で見たり、たまに目が合うと軽く笑ってくれたりするから、ついこちら
に仕事を持ってきてしまう。

 別に仕事部屋に来てもらってもいいのだが、自分は邪魔になると思っているらしく、そちらには
ほとんど来てくれない。

 なのでこうして機会を作っては癒されにきている今日この頃である。

「…………?」

 不穏な気配を感じて、俺はもう一度視線を琥珀に戻した。

 彼女は何故か握り拳を作っていた。

 こちらも色々考えていたので今どういう状況かわからない。こういうときは、とりあえず作業の手
を止め、頬杖をついて様子を観察してみるといい。

 あ、動きが止まる。

 顔を真っ赤にして頬を押さえる。

 そのままなんだか幸せそうに笑った。

 十数秒の内にころころ変わる表情は見ていて飽きない。どころか…

「……ぷっ」

 思わず笑いがこみ上げてきて、押さえきれなかった。

 その声に反応して琥珀がぱっと顔を上げる。

 ずっと見られていたのにも気づいていなかったのだろう、笑っている俺を見る頭の上には大きな
ハテナマークが浮かんでいた。

「顔が真っ赤ですよ? 琥珀さん」

 考えていることが漏れてるぞ、と丁寧に忠告する。琥珀はすぐに顔を手で押さえた。

 その様子にまた笑って、俺は再び仕事に戻った。





 書き終わった書類を最終チェックをする。何か書き抜かしがあると軌鉄のじっちゃんがうるさいし、
書斎でなにしてるんだといらぬ想像をされてしまう。

 どうやら大丈夫なようだ。

 封筒に全部詰めて軽く閉じた。さすがに集中力も切れたし、休憩するか。

「あの…」

 眼鏡を外したところで、琥珀が近づいてきた。

 手にはチョコレートケーキとフォーク……珍しい。大好物なのにまだ食べてないとは。

 そのまましばらく間が空く。次の台詞が出てこないらしい。

 折角なので、彼女が話すまで待った。自分から話しかけてくるなんて成長したなあとしみじみ思う
くらいの時間の後。

 ようやく決心したように、琥珀は言った。

「あのね、…膝に乗って、もいい?」

 正直に言うと、その、琥珀が真剣な表情で言った台詞にはかなり驚いた。

「…………どうぞ」

 自分でも理由がよく分からない動揺をどうにか抑えて、答える。

 琥珀の手は皿でふさがれたままなので、手を貸して膝に乗せた。



 何をしてくれるのか…は、何となく予想はつくが。

 しばらくもじもじしていた琥珀は、俯いたままケーキをフォークで一欠片すくった。そして光沢のあ
るチョコレートで覆われた欠片を、すっと俺の方に差し出した。

 琥珀色の瞳が間近から見あげる。頬が微かに紅くなっていて、恥ずかしそうに首を傾けた拍子に
その肩から金糸の髪がさらりと落ちるのが見えた。

 チョコレートを持ち上げたまま、紅い唇が動いて甘い声を出した。

「…えと、そのーーーーーーー…あーん」





 なんだこの可愛い生き物。




 抱きしめたい。というかこれ、押し倒したい。



 未だかつて無いほどの動揺が全身を駆けめぐって、しばらく動けなかった。

 見下ろすと、琥珀は頬を真っ赤にしてフォークをつきだしていた。

 頑張りどころが激しく間違っているが、それすら可愛いと感じるのだから、もう末期だ。

「…いら、ない?」

 いただきます。君ごと。





 と、手を出しかけて−−−軌鉄のじっちゃんに釘を刺されているのを思い出した。

 仕事中に不謹慎なことをするようなら、自室での仕事が禁止にされてしまうのだった。

 それは困る。唯一の癒しなのに。

 ……非常に辛いが、ここは耐えなければ…!

「もらうよ」

 何のリアクションもしていなかったので引っこめかけていた琥珀の手を握る。手の中にすっぽり
収まるどころか、少し握っただけで骨の感触まで分かるほど華奢。もうちょっと、太ってもいいと思
うのだが。

 パク、とケーキを口に放り込む。
 折角の申し出なのでチョコも舐め取った。


 食べられないと思っていたのだろう、綺麗になったフォークを見て琥珀は残念そうな顔になった。

 やっぱり、俺が困ると思ったな。

 甘いもの全般は苦手だが、食べられないわけではない。例えばホール丸ごと食べろと言われた
ら謹んで遠慮するが、カットケーキくらいは普通に食べられる。

 そう簡単に弱みを握られても困るからな。

 さて。

「琥珀、ここにチョコ付いてるぞ」

 早々に膝から降りようとしていたが、そうはさせない。
 誘われた分くらいはお礼をしておかないと失礼だろう。

 落とされては大変なので、お皿を取り上げる。琥珀はきょとんとした顔でお皿が机におかれるの
を黙って見守った。

 そして自分の右頬を示すと、琥珀は左頬を擦った。

 右を指したつもりだが…まあいいか。チョコなど付いていないから、合ってようが間違ってようが
一緒。

「違う、そっちじゃなくて」

 逃げられないように頭を固定する。無防備すぎる唇に顔を近づけて、擦った方と逆をこれ見よが
しに舐めた。

「ーーーーっ!!?」

 そこまでされて初めて警戒するのだから、鈍すぎる。

 さっき食べたケーキよりも柔らかくて甘い感触は名残惜しかったけれど、これ以上触れていると
歯止めがきかなくなりそうだ。

「ほら、取れた」

 舐めたところを手で隠して、琥珀は真っ赤な顔でパクパクと口を動かした。

 悪いな。やられたら三倍返しがモットーなもので。

「ご馳走様」

 琥珀を膝から下ろして、お皿を返す。まだ顔を真っ赤にしたままの彼女の頭を撫でて、俺は書類
を手に立ち上がった。

 そのまま部屋を出る。

「………覚えてろよ」

 ドアにもたれ掛かって呟く。

 おあずけをくった分、しっかり今夜後悔してもらうからな。








琥珀編












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