今日はお昼過ぎに疾風様が一度部屋に戻ってきた。

 休憩とかじゃなくて、書斎の資料が必要だからこっちで仕事をすることにしたみたい。

 いつもは邪魔だから仕事場には近づかないけれど、せっかくだから花梨が持ってきてくれたチョ
コケーキを食べながら、仕事の様子を見ることにした。

 銀色の眼鏡を掛けて、頬杖をつきながら疾風さまは何枚もの書類に文字を書いていく。
 その文字は私には難しくて書くのはもちろん読むこともできない。

 少しでもお手伝いできたらいいのにな…。

「ーーーーーーーーーチッ」

 部屋に響いた舌打ちに、ビクッと無意識に体が震える。た、溜息ついたのが聞こえてしまったの
かな。

 それともやっぱり、邪魔してるから?

 あ、チョコの匂いが駄目なのかも。

「…気にすんな。こっちの話」

 色々な理由を考えて、頭の容量がいっぱいになる。ぐるぐる単語が回って動けないまま疾風さま
を見ていたら、視線を上げてそう言ってくれた。

 でもすぐに書類の方に戻って、頭を掻きながら今度は小さく文句を言っている。

「う、ん……」

 よかった。

 って、気をつかわせてどうするの!

 安心すると同時に、落ち込む。

 ご飯食べさせてもらって、寝るところも着るものもあって(ちょっと着るのヤダなと思うのもあるけ
ど)、不自由なくさせてもらって(疾風さまが予告なく襲ってくるけど)る。

 これ以上ないくらいよくしてもらってるのに、余計な心配をかけちゃだめだ。

 このなんでも悪い方に考える癖も、早く直さないと、面倒くさいと思われてしまう。

 それは嫌だ。だって、折角恋人になれたのに…!

「……ーーーーーっ」

 そこまで考えたところで、自分の顔が真っ赤になるのが分かった。

 恋人。

 そうだ、恋人になったんだった。もう主人とペットではなくて。

 まだ実感は沸かないけれど、でも、疾風さまの隣にいてもいい、って証をもらったみたい。メダル
にして首からかけたいくらい嬉しかった。

 疾風さまの恋人メダル?今度花梨さんと作ってみようかなあ。

「…ぷっ」

 え?何?

 ぱっと顔を上げると、今度は疾風さまが肩を震わせて笑っていた。

「…本っ当に分かりやすいな、お前」

 どうして笑っているのか分からずに、きょとんとしていると、疾風さまが笑いながらそう言った。

 つまり、私を見て笑っているみたい。そんなに面白いことしたっけ。

「なに、が?」

「顔が真っ赤ですよ? 琥珀さん」

 慌てて自分の顔を押さえると、疾風さまはまだニヤニヤ笑っていた。

 何を想像していたのかな〜?と、楽しそうな声まで聞こえてきた。

 しばらく顔を隠していたけれど、ちょっと経って指の隙間から向こうを見ると、もうすでに仕事の方
に戻っていた。

 …遊ばれてる。

 ほんの少し、対抗心が芽生えた。

 私も疾風さまが困るところ、見たい。

 …こっ、恋人、なんだから、ちょっとくらい困らせても…多分、大丈夫……………………………
だよ、ね?

 でもどうしよう。

 何をしようかな。

「…………………あ」

 まだほとんど食べていないチョコレートケーキが目に入った。そうだ、いいこと思いついた。







 しばらくして、疾風さまが机の上にばらまいていた書類を揃えた。
 紙束の片方を持ってパラパラとめくって、軽く目を通している。

 あ、紙袋に入れた。眼鏡も外した。うん、今だ。

「疾風、さま」

「ん?」

 ケーキの乗っているお皿を持って、疾風さまの書斎机に近づく。そして何度も頭の中で練習した
台詞を言った。

「あのね、膝に乗って、もいい?」

「……………………どうぞ」

 数秒、沈黙があって疾風さまが椅子を少し後ろにずらした。
 お皿を持ったままだとちょっと難しかったけれど、何とか膝に座れた。

 近くにくると途端に心臓が苦しくなる。顔、紅くなってないかな。

 でも頑張る。

「えっと、ね、このケーキ、美味しくて、えと、そのーーーーーー…あーん」

 練習したのに、何言うのか忘れてしまった。なので、最終目的だけ。

 フォークでチョコケーキをほんのちょっとすくって、目の前に差し出す。

 途端に疾風さまの顔が固まった。

 やった、大成功。甘いものが大嫌いな疾風さまだから、困ってる。

「…いら、ない?」

 ちょっと勇気が出て、さらに言う。でもきっと食べないだろうから、もうこれくらいにしてしまおう。

「ーーーもらうよ」

 手を引っ込めようとしたところで、逆にフォークごと手を掴まれた。そのまま、フォークの先が疾風
さまの口の中に消える。その時ちらりと、赤い舌先が見えた。



 ………食べちゃった。



 ケーキの欠片も残ってないフォークを見て、ちょっと残念に思う。
 折角、いいアイデアだと思ったのに、あっさりクリアされてしまった。

 膝から降りようとした時、疾風さまがひょいとお皿を取り上げた。あれ?と思ったら、トントン、と
疾風さまが自分の唇の先、左側の方を示した。

「琥珀、ここにチョコ付いてるぞ」

「え、あ」

 さっき食べたときのかな。手で慌てて指し示された方の口を擦る。

「違う、そっちじゃなくて」

 ふっと息が降りてきた。

 頭の後ろを大きな手が支える。次の瞬間には、擦った方じゃない口の端に感触が。

「ーーーーっ!!?」

「ほら、取れた」

 ペロリと舐められたところを手で隠す。でも隠しても今更かもしれないけど、でも、だけど、咄嗟に
それしか行動できなかった。

 言葉が出なくて、パクパクと口を動かすだけの私を見て、疾風さまがふっと笑った。

「ご馳走様」

 呆然としている間に膝から下ろされて、お皿を渡される。

 そして軽く私の頭を撫でて、疾風さまは書類を手に部屋を出て行ってしまった。

「…………ずる、いっ」

 困らせるつもりが、逆に仕返しされてしまった気がする。

 今度からはもっと大きくケーキを取って差しだそう。




小悪魔とチョコレートケーキ







疾風編












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