とある幸せな日。






 



+++注意+++


今回のssは
琥珀の生い立ちに関するネタばれを含んでいます。

もしまだ本編を読んでいなければ、先にそちらの方をお読んでください。お願いします。

目安としては第六話 #1まで読んでいれば、何の気兼ねもいりません。

それでは、どうぞ。






























 彼は今、自分が大陸中で一番幸せな男だという自負があった。



 仕事は…まあ、一日百枚単位で上がってくる書類だの陳情だの、じいさん連中のお小
言など面倒なことも多いが。

 それでも、自分を幸せたらしめている愛する家族の事を思えば自然と顔がにやけてくる。

 それ相応の顔と態度をしてくださいと部下に何度責められようと、こればかりはどうし
ようもない。


 正直金にはあまり頓着はしないが、家族を養うためと思えば、辛い官僚仕事も容易い
ものだ。

 そして家族と自分を引き離す辛い時間がようやく終わり、早々に帰宅した彼はスキップ
のごとき足運びで、広い廊下を進んでいた。

 目的の部屋の前まで来た彼はコホンと咳払いしてドアをノックした。

「沙耶」

「は〜い」

 呼びかければ、耳に心地よいまさしく鈴が鳴るような返事が聞こえた。

 貴族の娘としては些か、行儀に欠ける返事ではあったが、可愛いので特に気にしない。

「ただいま」

 カチャッと扉を開いて子ども部屋に入ると、愛娘が読んでいた本から顔を上げた。



 母親譲りの糖蜜色の髪がするりと肩から滑り落ちる。
 まだ五つにもなっていないのに、その姿はまるで一流の細工師が手を尽くして作った人
形のような完璧さを持っていた。

 もちろん、大陸一と美貌を称された愛する妻によく似ている。

 しかしその大きな瞳は彼と同じ琥珀色だ。

 沙耶は、父親の顔を見てぱっと顔を明るくした。

「父さま、おかえりなさいっ」

 今まで座っていたベッドから降りて、沙耶は父親に抱きついた。
 その小さな身体をひょいっと抱き上げて、彼はとろけそうな笑顔を浮かべた。

「いい子にしてたかい?」

「はいっ」

 頬に少し赤みが差した、はにかむような笑顔は、まさに天使そのものだ。

 彼女が生まれた時から、その単語を何度思ったか知れない。親ばかと言われるかもし
れないが、彼女以上に可愛い子どもを彼は見たことがないのだから仕方がない。

 愛らしい小さな手が、彼の頬をぺちぺちと叩いた。

「おしごと、ご、くろうさまです」

 この一言を聞けば、どんな辛さも吹き飛ぶ。

 ああ、生きてて良かったなあと思った彼の目に、先ほどまで沙耶が見ていた本が入った。

「沙耶、また本を読んでいたのか」

「うん、さかがみさんがね、よんでみてって」

「そうかあ」

 坂上は屋敷に昔から仕える優秀な執事だ。
 彼の留守中の所用を全て任されており、沙耶の教育係でもあった。

 彼は沙耶を抱き上げたまま、小さなベッドに近づいてその本を持ち上げた。

「でも、えばっかりで、おもしろくないの」

 父親が開いた本を覗き込んで眉を寄せて沙耶が、首を傾げる。

 一方の彼は、その『本』を持ったまま硬直した。









「てめぇえ坂上ィ! こんのクソ執事が!!どこにいやがるゴラァ!!!」

 屋敷中の使用人が思わず直立不動になるような怒声を上げながら、居間に乗り込んで
きた影が一つ。

 先ほどまでの穏やかな気配はどこかに消え失せ、彼は端正な顔を鬼の形相に変えてい
た。

 父親の大きな声に、抱き上げられたままの沙耶は耳を両手で塞いでぎゅっと眼を閉じ
ている。

 扉を足で蹴って開けた先にいたのはーーー

「あら、あなた。沙耶を連れてきてくれたの?」

「兄さん…何してんの?」

 向かい合わせのソファに座って何かを見ている、彼の妻と弟の姿。

 目当ての人物がいないと知って、彼は髪を掻きながら彼らに近づいた。

「あのクソ…いや、クソ坂上知らないか?」

「…今の言い直す必要ないんじゃ…」

「いいんだよ。とりあえず今すぐ居所吐け。 五秒以内に答えなければ、てめえを無一文
で屋敷から追い出す」

 長い足で一直線に弟の元にたどり着いた彼は、ドスのきいた低い声で言いながら胸ぐら
を掴んだ。

 嘘か本当か、いやこの人ならやりかねない内容の脅しに、弟が顔を引きつらせる。

「坂上さんなら出かけてるよ。 色々と用事を片づけるって」

「ちっ…逃げたか」

 手を離されて、よれた首元のシャツを直した弟はため息をついた。

「何をそんなに怒ってるの? また義姉さんにラブレターでも来た?」

「あら? この人が前の方を島流しにして以来、そんなもの見たこともないけれど…」

 読んでいたものを閉じて、妻が首を傾げた。

 黄金と形容されるその豊かな髪を一つに束ね、頬に手を当てているその姿は美しい、
以外表現できない。

 悩ましげな様子とは裏腹に、怖い単語がその形の整った唇から飛び出たが、そんなこ
とを気にする人物は残念ながらこの場にはいなかった。







 はあ、と息を吐いて彼は妻の隣に座った。
 すると、すぐに腕の中にいた沙耶が母親の膝の上に移動した。

「……朧(オボロ)さん」

「はい?」

「…もしかしなくても、君の差し金かな。このお見合い写真」

 先ほど沙耶が眺めていた、黒表紙の『本』を妻の前に翳す。

 そう、沙耶が渡されていたのは少年の写真が貼られ、プロフィールなど書かれた立派な
それ。

 机の上に山ほど置かれたそれらを、じっくり眺めていた二人の姿を見れば、誰が黒幕か
は一目瞭然だった。

「ええ。苦労したわよここまで集めるのは」

 えっへん、と胸を張る妻の言葉に、彼は今度こそ脱力した。

「なんでそんなことを…」

「だって、貴族は生まれる前から許嫁が決まっていることもあるのでしょう?
 私は平民出だからそう言うことに疎くて駄目だわ。今の内に沙耶の未来の旦那様を決め
て、将来六股なんてする悪い男に捕まらないようにしないと」

 悪い男、のところに一番力を入れて、妻がじろりと夫を見た。

「ほら、この子なんていいんじゃない? 目の色も素敵ね〜」

 と、黒髪の少年の写真を義弟に見せる妻から、言いしれぬ怒りのオーラが見えた。

 無言で責められている彼は、顔を手で覆ってうなだれる。

 しかし数秒後、険のある眼でこちらを見るその少年のお見合い写真を取り上げた。


「白夜(ビャクヤ)…お前、また朧さんになにか吹き込んだな…?」

「まさか。 俺はただ、兄貴は昔いろんな女の人をとっかえひっかえして遊んで、六股くら
いは当たり前だったって言っただけ」

「大ボラ吹くんじゃねえよ!! 六とかあり得ない数字をだしやがって……!」

「あ、ごめん。五だっけ?」

「四だ!四!!」

「………」

 彼が叫んだ瞬間、窓も開けていないのに冷たい風が吹き抜けた。

 会議で向けられるより冷ややかで敵意を含んだ視線が身体を貫く。
 壊れた人形のようにギチギチと鳴る首をなんとか回して、彼はその視線の主の方を見
た。

 そこには鋼鉄の無表情をまとう妻がいた。

「も、もちろん朧さんに会う前…なんだけど…」

「っ不潔!! あなたが……まっっっったく、相手の女の子の気持ちを考えていない、そ
んな最低な人とは思わなかった!!」

 荒く息を吐いて、妻は再び山と積まれた見合い写真を一つ手に取った。

「だから、沙耶には今の内に婚約者を見つけておくの! 分かった!?」

「くっ…、で、でも、もう沙耶の旦那は白夜と決まってるし!」

 慌てて叫んだその言葉に、妻と当の本人が顔を上げる。

 名前の通り白い髪を持つ年の離れた弟は、眉をひそめた。

「…いつの間にそんな話が。 というか、法律で三親等以内の婚姻は認められてな……ぁ
…まさか………!」

「ふっ、ようやく気づいたか。そう、この間可決させた法案で、婚姻の禁止を二親等内に変
更済みだ!」



 遡ること半年前。

 それは大臣職である彼が突然会議の席で出した議案だった。

 今までの結婚の概念を覆すようなその法律は、大臣全員の猛反対と王と王妃、王子も
巻き込んで大論争になった。

 そんな圧倒的不利プラス、倫理的にも無理のある法案など、棄却されると思われていた
が。

 彼は数日前にきっちり全員を説得し、このたびめでたく公布となったのだった。

 これは大陸中に知れ渡っている、嘘のような本当の話だ。



「可愛い沙耶を他の男なぞにあげられるものか! なー、沙耶」

「なー?」

 難しい単語に首を捻る沙耶の頭を、笑顔で撫でる兄を見て、弟はぼそりと呟いた。

「職権乱用…」

「使えるものを使って何が悪い。 最終的にみんな同意してくれたし、まあお前と沙耶が
結婚した後で法律を元に戻せばいいだろう」

 ………そんな無茶な。

 言いたかったが、弟は口をつぐんだ。

 兄の破天荒な振る舞いに振り回された経験など、掃いて捨てるほどある身。性格は十
分把握している。これは、何を言っても無駄なパターンだ。

 彼は大臣たちに心の底から同情した。

「あー…僕はいいけどさ。沙耶ちゃん好きだし。ロリコン言われても構わないし。
 でも、本人にも了解取ってるの?」

「む」

 そこで初めて彼は考え込む仕草をした。

 沙耶が結婚適齢期になる頃には、叔父は三十歳半ばだ。まだまだ働き盛りだろうし、
容姿もそこまで老けることはないだろうが、確かにおじさんには変わりない。

「…沙耶、叔父さんと結婚する気、ある?」

 恐る恐る聞いた父親の言葉に、沙耶はうーん、と視線を彷徨わせた。

 そして、ぎゅっと母親の首にかじりついた。

「ん〜と、母さまがいいっ」

「あらあら、私も沙耶が大好きよ〜っ」

 小さな身体を、妻が抱きしめる。頬ずりせんばかりにくっついてニコニコ笑い合う姿は、
まるで一つの絵画のようだった。

 その光景に心奪われる弟と反して、兄は何かぶつぶつ呟き始めた。




「母と子で結婚…さすがに厳しいよな……。 いや待てよ。同性愛者に対するあの案件と、
親子の関係による精神論をつなぎ合わせてなんとか…」


「いや、兄さん。 それ単なる母子家庭なんだけど…」

 真剣な表情で呟き、訳の分からない結論に達そうとしている兄に、弟がすかさずツッコ
ミを入れる。

 弟の言葉を聞いて、優秀な大臣の顔色が変わった。

「だ、だだだ、駄目ーー!! それ、一 番 駄目ー!!」

「ふふ、というわけで、万が一の時の沙耶の親権は私がもらうと言うことで」

「朧さん!? 何いってんの!?万が一って何!?」

 ぎゅっと沙耶を抱きしめたままの妻の言葉に、面白いくらい兄が取り乱した。

 いつも彼に言いくるめられている他の大臣にこの様子を見せたら、きっと驚きで顎を外
すだろう。泡を吹いてそのまま昇天する人もいるかもしれない。





 兄は時にかなり不思議な思考をするが、しかし、それも家族を愛するが故のふるまいだ。

 証拠に、結婚するまで兄は、惚けたところはあったけれどどこか冷めた考えをする人だ
ったから。

 年の離れていることもあり、何でも出来てずば抜けた頭を持つ兄は、弟にとって神にも
近い存在だった。

 まさか、その彼にツッコミを入れられる日が来ようとは、幼い日の自分は想像もしなか
っただろう。

 そしてライバル意識の激しいオペラ界で、歌姫と呼ばれる地位を獲得した彼の妻もおっ
とりしているように見えて芯は強い。

 しかも抜け目がなく、戦略家だ。
 初恋の人でもあるので、裏の顔を初めて見た時は結構ショックだった。

 その二人の娘は愛情いっぱいに育てられ、今のところ純粋に育っている。いや、両親が
策略家だからこそ、護られている彼女は純真なままでいられるのだろうか…。

(……なんだかなあ…)

 お互いを信頼しているからこその、言葉の掛け合い。

 泣きそうな顔の夫にそっとキスをする妻。
 腕の中にいる娘も、小さい身体で必死に父親を慰めている。

 暖かくて、ひどく居心地が良くて、でも何故か苦しくなるのは、きっと夜の闇が深い所為
だ。夜の時間は、人の心を否応なく不安に陥れるものだから。

(願わくば、この幸せがずっと続きますように…)

 とても、とても幸せな家族の光景。

 これをいつまでも目に焼き付けていられるように、白夜はそっと眼を閉じた。









 おまけ。

「あああああ、駄目だったー」

 今日届けられた手紙の一つを掴んで悲鳴を上げる霧生の声が、彼の書斎に響いた。
 彼は早歩きで廊下を駆け抜け、息子の部屋に乱入した。

「疾風!時雨! お前らが協力しないからだぞ!」

「「………は?」」

 取り乱す霧生の言葉に、双子が同時に返事をする。

 疾風はソファに座って本を読み、時雨は机の上に散らかしたパズルを組み立てている
ところだった。

「折角、あの伝説の歌姫と懇意になれるチャンスかもって思ったのにー。可愛い嫁さんも
らう計画がっ」

「親父……よく分からないが、落ち着け」

「あー…あれかな。 あの訳の分からない写真の話…?」

 取り乱す父親を前にして、とりあえず息子たちは宥めようと試みた。

「最終的にちゃんと撮っただろ」

「疾風はカメラ睨むし、時雨は冷ややかな笑顔だし。もっと、見る人を惹き付ける笑顔って
言うのがあるだろう! 俺の息子だ、出来ないとは言わせん。

 あーあー、他の誰かに決まってたらどうしよう……」



 お見合い写真を送ってきた全員に返された、丁寧なお断りの手紙を持って、霧生はずっ
と嘆き悲しんでいた。





END


あははははははは。

って、楽しいのは私だけ・・・か?(爆)

というわけで
ネタばれの宝庫でございます。色々と詰め込みました。
整理すると、
琥珀:四歳  父親:三十五歳  母親:二十五歳  叔父:十八歳
疾風・時雨:十三歳  執事:六十歳 です。  


兄、とか妻、での書き方なのは、短い話の中に登場人物が多すぎるから。苦肉の策です。
あと、「MOON DROP」では出すつもりのなかった名前なので、今回は表記を控えめに。

どことなくお父さんが疾風に似ているのは、やっぱり女の子は父親に似ている人を好きになると
言うあの説にのっとって。


親等など婚姻の話はすでに皆さん知っていると思いますので、説明は省かせてもらいますっ。
十八歳以上対象の小説なので、公民の授業でもうご存じかと・・・。
ちなみに6-1で話していた内容の裏話です。

その後、家族がどうなったかは・・・これから先の展開で。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!

 















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