お酒は20歳になってから。






   その日、氷雨の中では酒盛りが行われていた。

 年に一度、冬の間に熟成された酒ができあがる時期に国内一斉に行われる早春の祭り
の日―――酒を思う存分飲んで一年の無事を祝うというものだが。

 誰もそんな堅苦しい伝統に興味はなく、酒を飲むのに丁度いい理由と割り切っている。



 ほぼ全員酒豪の幹部連中と、各部署の代表者たちは上の食堂に集まり料理長に古今
東西さまざまなお酒やつまみを用意してもらい、朝からどんちゃん騒ぎを繰り返していた。

 建物の下のほうも同じように騒いでいるところを見ると、いつもは忙しい氷雨の構成員、
全員この日のために仕事を片付けていたようだ。

「ふっ、わしの勝ちだな」

「ま、まだまだあっ」

「もう一杯っ!!」

 軌轍、眼竜、鴉の飲み比べも、白熱している。
 未成年用の酒もあるのだが、酒が苦手な雲雀は赤くて酸っぱいリの実から作られたジュ
ースを片手にそれを眺めていた。

「これで軌轍さん千二百三勝、眼竜が九百八十八勝、鴉さんが千五勝だね」

 三年前に氷雨に入ったときから数えている酒比べの勝敗だ。

 全員ザルだから、勝負がつくまでに彼らの足元に大量のビンが転がる。
 今も大樽がすでに空になりかけだ。

「くっそー!!今日は鴉さんが勝つと思ったのによお!!」

「はいはい、早く払ってください〜」

 氷雨の管轄地区で様々な仕事を担っている部署の、トップと補佐たちが酒を片手にそ
の勝負に金を賭けていた。

 親役の雲雀がひょいひょいと賭けの代金を分配して、賭けに勝った者の席の前に小銭
や紙幣が山積みになる。

 誰がどのくらい賭けたのか、雲雀は紙に書かずとも覚えるので非常に効率的だ。



 全くの無礼講で、あちこちで情報交換や愚痴りあいがなされていた。
 その活気に溢れた様子は見ていて胸がすくくらいだ。

 琥珀も疾風の隣の席で、リのジュースを手にその様子を興味深そうに眺めていた。

「楽しいか?」

「う、んっ」

 疾風の問いに笑顔で答えた琥珀に、疾風は軽く笑った。

「琥珀様〜飲まないんですかあ?」

 そんなほのぼのムードのところに、顔をほんのりピンクにした花梨が近づいてきて言っ
た。

 静かなのはここら一帯だけで、あとはもう賑やかというより、喧しい。
 そんな無法地帯から来た花梨は相当酔っているらしく、酒の入ったコップを片手に、琥
珀に絡んでいた。

 差し出された透明な液体の匂いを嗅いで、琥珀はプルプルと首を振った。

「お酒、は、ダメ…だから」

「へ? 飲んだ事はあるんですか?」

 琥珀の言葉に、花梨が目を見張った。

「ん、と。昔、ちょっと。 でも、飲んだ、後、…」

 そこで琥珀は言葉に詰まって、視線をそらした。

 貴族のところにいたころに飲んだことはあるが、とにかく、飲みたくないものらしい。

 いつもなら無理強いはしないのだが、すでに泥酔一歩手前の酔っ払い花梨はさらに絡ん
だ。

「ちょっと飲んでみましょうよう。ね、ちょっとだけ」

「う、でも、本当にっ、お酒、だめで…」

「花梨、そのへんでやめとけ」

 眼竜たちほどではないが既に相当量の酒を摂取しているのに、顔色一つ変えていない
疾風が割って入る。実は彼、氷雨の中で一位二位を争うほど酒が強い。

 さすがにそれ以上は勧めず、花梨は礼をしてふらふらと戻ろうとした。
 しかし、その残念そうな様子に慌てたのは琥珀だ。

「ちょ、一寸だけ…飲む」

「琥珀」

「ちょっとだけ、だもんっ」







「おい、しっかりしろ」

「…ふ?」

 疾風に軽く頬を叩かれて、琥珀は目を開けた。
 頭の芯がぼーっとして、思考が上手くまとまらない。 どうして自分が疾風の膝の上にい
るのか、全く思い出せなかった。

「お前らな…」

 呆れたような溜め息を吐きつつ、疾風は側に居る三人を見た。
 琥珀が飲む、という話を聞いて押し寄せてきた眼竜・軌轍・鴉の酒豪トリオは、どうせ飲
むならと有無を言わさず強い酒を渡したのだ。

 飲み方の分かっていない琥珀は、それを一気に飲んで目を回して倒れたのだった。

「うう〜ん、予想通りというか。あんまり琥珀ちゃん酒は強くないみたいね」

「ほっほほ、まだまだじゃのお」

「お前らと比べるな。 …もう完全にダメだな。上行って寝かせてくる」

 頭の上を飛び交う言葉が、どこか遠くのもののように聞こえた。
 と、疾風にだっこされる前に琥珀はゆらりと起き上がった。

「大丈夫、らもんっ。 まだ、ここ、いる…」

「呂律が回ってないぞ」

 宥めて寝かせに行こうとする疾風を見上げた琥珀の表情に、彼は一瞬息を呑んだ。

 上気した頬に、きゅっと唇を結んで、潤んだ瞳は意志の強そうな光を灯している。

 いつもの雰囲気とはまるで違う彼女を前に、疾風は本能的に嫌な予感がした。

「変態!!」

「……は?」

 聞こえてきた言葉に、言われた本人である疾風はもちろん、部屋にいた全員が固まっ
た。

「離してっ。変態の疾風さん、嫌いっ」

 じたばたと暴れて、疾風の腕から抜け出すと琥珀は一目散に雲雀のところに飛んでい
った。

 雲雀を後ろからぎゅっと抱きしめて、琥珀は疾風を睨みつけた。

「雲雀君のほうが、いいもっ」

「は? ……――――――えええ!!!!?」

 突然巻き込まれた雲雀の方は、持っていた紙幣を落としてギョッとして大声を上げた。

 痛くはないが強く抱きしめられているため、背中に柔らかい感触が押し付けられている。

 本来なら夢のような状況ではあるが…疾風の鋭い眼光に射抜かれた体は、早くこの状
況から抜け出したいと叫んでいた。

 きゃっきゃと無邪気に雲雀に構う琥珀と対照的に、部屋の中は一触即発の空気が流れ
ていた。
 誰もが酒を呷るのをやめ、固唾を呑んでその場を見守った。

「お、落ち着けよ?疾風…… 酔っ払いは、おかしな言動をするって決まっているだろ」

 パリーーン!!

 と、静寂を切り裂いて硝子の割れる音が響いた。

「わかっているさ。 こんな事くらいで取り乱すわけねーだろ、ボケが」

 持っていたコップを、握力のみで割った疾風は、今まで見たことがないくらい爽やかに
笑う。



 が、あきらかに言葉の端に押さえきれない暴力性が滲み出ていた。


 幸いにも怪我はしていないようだ。 手から滴り落ちる酒が、ポタポタと絶え間なく机を
打つ音が部屋の中で木霊した。

 ――――――ものすごく、色々と我慢しているのが全員によくわかった。

 爆発しないうちに、琥珀が元に戻るのを誰もが期待したが、それをあざ笑うかのように
琥珀はさらに雲雀に密着している。

「ね〜、雲雀君…」

「な、なに?」

 焦点の合っていないとろんとした目が、妙に艶っぽい。

 全身から冷や汗を流す雲雀は、なんとか口元に笑みらしきものを浮かべて、青ざめた
顔で琥珀に笑いかけた。

 にっこり笑った琥珀は、顔を近づけて雲雀の頬に口付けをした。

「私と、したくない?」

 小さい、可愛らしい声が耳をくすぐり。甘い香りがほのかに漂う。

「………………………………っ、な、何言って!!?」

 言われた言葉の意味が判らずに、数拍置いてから、雲雀は顔を真っ赤にして立ち上が
った。

「……ダメ?」

 一転しゅんと項垂れた琥珀に、慌てて雲雀はフォローをいれた。

「ダ、ダメじゃないけどっ!! っていうか、むしろ嬉しい―――――はっ!」

 自分で、文字通り墓穴を掘ったことに気づいた雲雀は、背後から感じる殺気に直立不
動になった。


「…へえ? しっかりと、ヤル気はあるんだな?」



 絶対零度の冷たい声音が、流れ込んでくる。

 まるで地獄の底から忍び寄ってくるような冷気とともに。

「こ、琥珀様っ!! もう上に戻りましょう!!」

「ふえ?」

 眼竜に頼まれた花梨が、青ざめた顔で琥珀の腕を引っ張った。
 すると、すんなり雲雀から手を離した琥珀は、今度はへらっと笑って、花梨に抱きついた。

「花梨さん、大好き〜」

「え、わ、私も大好き…ですけどっ…」

 疾風からの視線が痛い。
 ようやく解放された雲雀は、慌てて疾風の前にすっ飛んで言って土下座をした。

「すみませんっ!!! ほんっとうにすみませんでした!!!」

「失せろ、ガキ」

「は、疾風…、琥珀ちゃんのテンプテーションに雲雀が勝てるわけないだろ。
 穏便に行こうぜ、穏便に」

 取り付く島もない疾風に、眼竜がフォローを入れる。
 経験浅い雲雀と、天然無邪気フェロモンの琥珀ではどちらに軍牌があるのか、一目瞭
然だ。

 そうこうしているうちに、琥珀はふらふらと部屋の中を彷徨って片っ端から抱きついてい
た。人見知り激しいいつもの琥珀では考えられない行動だ。

 ちなみに軌轍はさすがに手馴れたもので、抱きつく琥珀によしよしと子どもにするように
頭を撫でていた。

 そして最後に、眼竜の腰にしがみ付いた琥珀は自分の一,五倍はある大男を見上げた。

「えへへへへ」

「は、はは…」

 無邪気に笑う琥珀に、軽く眼竜は唇を歪ませた。

「琥珀ちゃん、俺は好き?」

「うんっ」

「……疾風は?」

「嫌〜〜いっ」

 プイッと顔を逸らせた琥珀に、ついに疾風が切れた。

 無言で立ち上がると、眼竜から琥珀をはがして、肩に担ぎ上げる。

「疲れたから、俺はもう寝る。 後は皆で適当にやってくれ」

 じたばた暴れる琥珀を意に介さず、疾風はそう言うと部屋を去っていった。






 二日酔い以上に疾風に散々苛められた所為で、琥珀はその後二日間ベッドから起き
上がることすらできなかった。

 しかも疾風もずっと機嫌が悪く、雲雀は同情はされるものの疾風の冷ややかな視線を
浴びまくって針の筵で数日を過ごした。





 そして氷雨の中で暗黙の誓いが生まれた。

 ――――琥珀には、絶対に酒を飲ませるな、と。




END


またの題名を「雲雀の災難」(笑)

疾風が変態かどうかは自己判断に任せるとして、琥珀も意識してないので弁明しますと。
琥珀はお酒を飲むと、フェロモンが増します。
で、相手の気を引くテクニックを使うわけですね。この場合は疾風に焼きもちをやかせるた
めの行動。
本当に嫌いだとか、心の奥底ではそう思ってるわけでは…多分ないかと。
貴族のペット時代もそうやって、ご主人様の気を引いてます。
でも、そりゃそんなことをすりゃ、いじめられますよ。


「俺が嫌いだって?」
「ち、がっ…、…っや、ぁあ…!」



とかなりますよ。

だから、とにかく飲んだ後は酷い事になる〜と、インプットされております。
でも自分がそんなことしてるというのは忘れてるので、訳が分からず現在に至る。


話自体は投票ページを開いてくださった方用にアップしたものです。
投票結果と一緒に再登場させてもらいました。
雲雀の票が多かったのはこの所為かと密かに思っています。
長い説明、失礼しました。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。















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