「お掃除、しても……いい?」 そう言いながらひょっこりと顔を出した人物を見て、疾風は目を細めた。 琥珀が、エプロンと帽子とハタキを持ってそこにいた。 「…………掃除?」 怪訝な声で聞くと、部屋に入らないまま琥珀は頷く。 「……………………」 数日徹夜の回らない頭で、疾風は部屋の中を見回した。 年末の忙しいこの時期、仕事部屋には必要書類といらない書類が一緒に散乱していた。ついでに言うと、データ用の冊子や本も床に積み上げられている。 確かに足の踏み場もないくらい、散らかっていた。今気づいたのだから、よほどせっぱ詰まっていたのだと思う。 「掃除、一週間、してないの、よくない、から……って、頼まれたの」 まだ扉の向こうにいるままの琥珀が、少し詳しく説明してくれる。 「あー……」 伝聞の内容に心当たりがあった。 時間が勿体ないのと、書類を出しっぱなしにするので、しばらく掃除はいらないと断った記憶がある。一週間ほど前に。 重要文書もあるので、ここの掃除をする担当はよく見知った相手だ。豪快な壮年の女性で、琥珀とも仲がいい。頼まれたのも納得がいく。 「いや、別に……」 このままでも、と続けようとして、心が折れた。 いつもよりも気合いの入っていた琥珀が、しょぼんと、肩を落としたから。 「……………そろそろお願いしようかと思ってたんだ」 我ながら、情けなくて思わず顔を手で覆った。 「はいはいっ! よっし、じゃあ掃除するよ!」 バーン!!と扉を大きく開けはなって入ってきたのは、掃除係の女性。恰幅の良い体を揺らして、ささっと床の書類を拾う。 「いつも通り、サインのあるやつとないので分けるますからね。ほらほら、窓開けないと、空気がこもって辛気くさいじゃないか!」 紙が飛ばない程度に開けられた窓と、その隣にいるおばちゃんを見て、疾風は半眼で呟いた。 「はかったなてめぇ」 「そんな人聞きの悪い。琥珀ちゃんにちょっと、協力してもらっただけですよ」 ホホホ、と笑う彼女から顔を離して、琥珀を見る。 「あ、の……えと、……その……っ」 琥珀は体の前でハタキを握り締めて、口をパクパクしている。なにか言い訳を考えていたが、思いつかなかったらしい。 「…………仮眠する」 おばちゃんがパタパタ動き回って手際よく部屋を片づけている様子を見て、疾風は椅子から立ち上がった。目の前でウロウロされては集中できない。 もう眠気も限界だし、タイミング的にはピッタリ……と思うことにした。 ソファの上に散乱する書類を床に落として、疾風は寝転がった。 これは仮眠だ。 自分の弱点をつかれて、まんまと策にはまった事へのふて寝では決してない。 「あ、と、毛布……」 「そうだね、かけてあげな」 寝ている体の上に厚手の布が被せられる。 冷えた肩には丁度良い温かさに、疾風は体から力を抜いた。 「さあ、とっととやっちまおう」 「う、ん……!」 閉じた瞼の向こうで、動き回る人の気配がした。もう任せてしまおうと、眠りに入りかけてカシャーン、という音が聞こえた。 「あ、あの、あの……」 「あらららら……これは……」 ……………………………何が割れたんだろう。 狼狽えまくる琥珀の声と、脱力しきったおばちゃんの声に、確信する。 「…………だから、琥珀に掃除はさせるなと…」 寝入り端の重い体を起こした疾風が、肩に毛布をひっかけて現場に行く。戸棚の前で、薄いガラスが粉々になっていた。 確か厚さ数ミリもないほどの薄いガラスでできた置物用のグラスだ。金銀細工がほどこしてある、貴重品。 「……弁償な。体で」 グラスの前でおろおろしていた琥珀が、ビクッと動きを止めた。 その様子を見つつ、破片を集めながらおばちゃんは苦笑した。 「まあまあ、琥珀ちゃんは書類拾っておくれ」 背中を押されて立ち上がった琥珀は、フラフラとよろめきながら、大量にばらまかれた書類を拾い集め始める。 その姿をぼーっと見ながら、ふたたび襲ってきた睡魔に誘われて疾風はソファに戻った。 体を倒せば、意識が途切れるまではほんの一瞬だった。 「………まだ寝て、る」 「ここまで熟睡してるのも珍しいねえ、よっぽど疲れてたんだろ」 掃除が終わって、すっきりした部屋の中。眠ったままの疾風を前に、首を傾げた琥珀におばちゃんが笑う。 「しばらく寝かせてやんな。だいたい、いつも働き過ぎだよこの人」 「うん」 立ち上がりかけて、ふと、思いつく。 琥珀はそっと手を伸ばして、その黒髪をさらりと梳いた。それでも彼はまだ目が覚めない。 「……おつかれ、さま」 微笑んで、琥珀は小さくねぎらいの言葉をかけた。 |