別荘へ行こう #1






 粘着性をもった水音が部屋の中を支配する。シャツ一枚羽織っただけの琥珀は、与えられる刺激にひくりと咽を鳴らした。

「あ、ぅ……ぁ」

 口から出る言葉に意味は無いのに、かすれてひどく聞き取りづらい。

 ガクガクと揺さぶられ、とびそうになる意識を必死に食い止めて、琥珀は高く啼いた。体中に散らされた鬱血の跡も痛々しく、蜂蜜色の髪が白い肌に張り付き、金糸を纏っているようだ。

「……っふ……」

 溢れ出る涙を拭おうとすれば、やんわりと手を掴まれて、目の縁をぺろりと舐めとられる。涙でにじむ視界の向こうに、組み敷く相手が見えた。

 見事な金色の髪をした少年が、辛そうにこちらを見ていた。







「いた!!」

「えっ……」

 廊下で後ろから声が聞こえた、と思った瞬間に後ろから抱き留められて、琥珀は口の中で悲鳴を飲み込んだ。

 慌てて振り返った勢いのまま腰を持たれて、高い高いをされる。

 目を見開きつつその肩に手を置けば、その人物と目が合った。白い髪が印象的な、琥珀もよく知っている男性だ。

「白夜叔父、さん」

 足をぷらりと垂らした状態で、琥珀は彼の名前を呼んだ。

「元気してたかい?」

 蕩けるような笑顔を浮かべて、床にゆっくり下ろされる。その腕を持ったまま、琥珀は改めて相手を見た。

 琥珀の父親の、弟。血の繋がった実の叔父である。三十はとうに超えているが、若々しい伯爵は無駄にきらきらとした笑顔で琥珀に話しかけた。

「う、んっ。叔父さん、も」

 元気? と聞く前に、今度は正面から抱きしめられた。

「ああもう可愛いぃぃぃっ」

「……今日、は、どうしたの?」

 意外と頻繁に氷雨を訪れては、ハグをしていくので琥珀もすでに慣れっこだ。ぎゅーっともう一度強く抱きしめてから、白夜は彼女に向き直った。

「休暇のお誘いだよ。少し休みが取れそうだから、よかったら一緒に遠出してバカンスでもどうかと思って」

「とおで」

「別荘がいいところにあってさ。うちの凪も、君といろいろ話したいって言ってるし」

「!?」

 その言葉に、琥珀が目を輝かせる。白夜の妻の凪は彼女にとって憧れの相手で、どこか母に似た雰囲気の女性だ。

 そして、琥珀と同じくもともとは貴族のペットとして飼われていた過去がある。

「あ……、でも」

 口ごもった琥珀を連れて、白夜は廊下を進んだ。

「大丈夫。今日来たのは、君の恋人を説得するためだから」

 正確に琥珀の心配を読み取った白夜は、疾風の仕事場のドアを開けた。

「やっほー、ちょっと遅れたかなー?」

「大丈夫、時間ぴったりだ」

 ソファに座って本を読んでいた疾風が、顔を上げた。

 そのままぞんざいに手招きする。すでに旧知の仲である白夜の訪問に、礼を尽くそうなど思っていないようだ。白夜も細かいことは気にせずに、中に入った。

 促されて琥珀も入室する。予想はしていたのか、彼女と目が合った疾風は何も言わずに本を机の上に置いた。





「招待は琥珀だけか?」

 本題を聞いた疾風が、白夜を見る。机の上にあるカップをとって優雅に紅茶を啜った白夜は、わざとらしいほどの笑顔を見せた。

「いや。君も来てくれていいし、広い屋敷だから他に何人でも連れてきて貰って構わないよ」

 疾風も何も言わずに、カップを傾ける。

 その隣に当たり前のように座らされた琥珀は、所在なくケーキを口に運びながら、二人の様子を見守った。

 良いとも、駄目とも言わないこの無言の時間に、話を聞いて浮かれた気持ちがしぼむ。

(「やっぱり、駄目……だよね」)

 セキュリティーはしっかりしている、郊外の屋敷だと言っていた。近くには湖や川や、ハイキングに行ける山もあって。自然の中でのんびり過ごさないかというお誘い。

 でも、ひょいひょいと出て行ける立場ではないし、疾風に守られていることを知る琥珀には、何も言えなかった。

 ここ最近は、特にいろいろあったし。これ以上迷惑をかけて、疾風に愛想をつかされたら……。

「あ、の」

 自分の声が出たのに気づいたのは、二つの視線を受けてから。

 慌てて口を閉じたが、二人ともじっと言葉の続きを待ってくれた。その沈黙に耐えられず、琥珀は小さく、決めたことを言った。

「……やめ……る、行か、ない……です」

 大人しくしているのが一番だ。疾風にお荷物と捨てられるのは、嫌だ。

 しかし。

「ほおおぉぉらぁぁぁ!! お前が渋るから空気を読んで、良い子はこんなこと言っちゃうだろぉ!!? 年長者が我が儘通してどうする!」

「…………」

「え、……っ?」

 これで話が終わると思ったのに、思わぬ方向へと流れた話に琥珀は慌てた。

「ほ、本当!」

 続けて叫ぶ。

「全然、行きた、くないっ」

 立ち上がってあわあわしながら言えば、男二人は脱力したように肩を落とした。

「……で、どうする?」

 白夜が疾風に言った。

「お前は、俺のことが嫌いだよな」

 苦々しく、疾風が応える。

「当たり前だろ」

 様々な恨みを込めて言った後、白夜は悠然と腕を組んだ。

「まぁ、もし疾風が駄目だと一蹴するなら、政治的圧力と財力と、法律と近親の情を駆使して、ここから連れだして、二度と戻さないつもりだったけど」

「やってみろ。返り討ちにしてやる」

「お互いに面倒な手を使わずに済んで良かったな」

 促されて、琥珀がソファに座り直した。

 軽口を言い合う二人を交互に見て、彼女は首を傾げた。

「ま、いつも仕事仕事で疲れてる君も、良い気分転換になるんじゃないかな。いいところだって本人たちが言ってたから」

 僕も初めて行くんだけど、と白夜が言葉を繋げる。

「使用人はうちの信頼できる優秀な連中を連れて行くから、人目なんて全然気にしなくていいし」

「…………おい」

 疾風が声を上げた。

「別荘の持ち主は誰だ?」

 自分のもののように語っていたから、誘導された。

 疾風の舌打ちに白夜がにやりと笑う。

「僕の若い友人だよ。色々仕事を手伝ってもらってる恩のある子なんだけどね、今回、『親戚みんなで来て下さい』とお願いされてね」

 白夜の目が、琥珀を真っ直ぐにのぞき込む。

 次にくる言葉は、わかった。

 聞きたいような聞きたくないような、一瞬の戸惑いが胸を掴む。けれどもそんなものを意に介さず、『沙耶』を溺愛している叔父は言った。

「知ってるよね? ひどい火傷で、いつも仮面をつけてる子だよ」





















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