雪の日 #2






 花梨の服を掴んだまま、琥珀が泣きそうな顔で叫んだ。

 そのまま、部屋の中に沈黙が降りる。花梨は固まったままだが、雲雀は何故かすぐさま窓を閉めた。

 下の声も聞こえない分、さらに静かな部屋で琥珀がもう一度口を開いた。

「雪がっせん、とか……………ダメ、かな」

 場の雰囲気で悟ったらしく、最後の方は消え入りそうな声だった。そのまま花梨の服を離して、そっと二人の方をうかがった。

 花梨は目を数回開けたり閉じたりした後、言いづらそうに口を開いた。

「せ、せめて疾風さまに聞きませんか? 黙って下に降りるのは…」

「…………う、ん」

 琥珀が心配そうに雲雀の方を見た。

 雲雀はその視線の意味に気づいて、頭を掻いた。

「あー…疾風さまは出掛けてるよ。眼竜と一緒に。 行き先とか帰る時間とかは…ちょっと、分からない。ごめん」

「え…え〜…っと」

 勝手に外に出すな、出るなは、世話係である花梨に疾風から直々に命令が下っている。

 この愛らしい少女にご執心のボスは、たとえ敷地内とはいえ許した範囲から出ることに良い顔をしないだろう。事後報告なら尚更だ。

 それに、光に当たって蜜色になる髪に琥珀色の目に、人形のように整った顔立ち、おまに華奢な体躯と、三拍子以上揃った琥珀の容姿はかなり人目を引く。

 あのノリのいい集団に飛び入り参加して、何の疑問も後腐れもなく帰ってくるのはさすがに無理だ。

「少し、だけ…! すぐに帰っ…てくる、から」

 いつになく必死な様子に、花梨は頷きそうになる弱い気持ちを抑える。

 ここで許してはいけない。結局、バレたときに一番被害を被るのは琥珀だろうから。

「…また、今度」

「いいんじゃない?」

「雲雀さま!?」

 却下しようとしたときに被さった声に驚く。頭の上で手を組んだ雲雀が、難しそうな顔で言った。

「だって、多分今日の昼過ぎにはほとんど溶けてなくなっちゃうよ。次降るのがいつかも分からないし」

「ちょ、ちょっと……勝手に出たと分かったら、疾風さま、めっちゃくちゃ怒りますよ?」

「ばれなきゃいいんでしょ? もし疾風さまが帰ってきたらこっそり引き上げよ。いつも夜まで仕事だし、午前中なら尚更、琥珀ちゃんを探すこともないだろうし」

「そう上手くいきますか…?」

 雲雀の提案とはいえ、すぐに実行に移すのは気が引けた。

 心を鬼にして、駄目だと言おうとしたときに琥珀がじっとこちらを見ていることに気づいた。
 大きな琥珀色の瞳が間近で、心配そうに見上げている。





 却下したら、琥珀はきっと頷く。

 文句も言わずに、大人しく引き下がるだろう。





(あ〜〜〜〜も〜〜〜〜〜っ)

 いっそのこと、もっと強気で言えばいいのだ。そうしたらこっちだって、断固反対することができるのに。

「わかりました! あくまでこっそりですからね!! くれぐれも目立つ行動はせずに、ちょっと遊んだら帰ってきますよ」

「いい、の…?」

「もういいです、私も覚悟を決めました」

「やったね、琥珀ちゃん」

 琥珀と雲雀が手を取りあってキャッキャと喜んでいるのを見て、花梨は溜息をつきながら頭を押さえた。

 が、一度決断したら花梨の切り替えは早い。

「とりあえず服を着替えましょう。 って、いうか雲雀さま、寝着の女の子の部屋に入ってこないでください!!」

 そういえば琥珀が寝起きだったことを思い出して、花梨は雲雀をぐいぐいと部屋の外まで押し出した。琥珀が今着ているのは冬用でそれなりに厚い生地だが、紛れもなく寝着だ。

 疾風以外の男には見せない方がいいだろう。

「………花梨も間が抜けてるよね。それ今更じゃない?」

 呆れた様子の雲雀に、花梨もぐっと言葉に詰まる。

「じゃ、変装するから目立たないように地味で安い服に着替えてね」

「…本当に大丈夫なんですか?」

 扉を閉める寸前に、花梨が低い声で聞く。雲雀は少し首を傾けて、さあ、と呟いた。

「まあ、ばれても減俸かクビか抹殺くらいで済むんじゃないかな」

「くらいというか、それで人生が終わるじゃないですか」

「あははっそりゃそうか。 …ま、だってさ、ここにもし疾風さまがいたとしても、多分OK出すでしょ?」

「そ、それはまあ…」

 自分から外に出たいと言ったのは、これが初めてだった。

 きっかけはどうあれ、わがままを言えるようになったのだ。

 たとえ疾風でも、あんな必死なお願いをされたら、無理に閉じこめたりはしないだろう。ボスとしての疾風は怖いが、彼が琥珀を何よりも大切に想っているのは事実だから。

「うん、大丈夫だよ。 琥珀ちゃんが誘拐でもされない限りは」

「縁起でもないこと言わないでください!!!」

 にっこり笑って、笑えない冗談を言う雲雀を突き飛ばして、勢いをつけて扉を閉める。

 肩で息をしながら振り返れば、窓にしがみついていた琥珀がビクッと体を震わせた。

 不意の物音や大声に慣れない彼女が、申し訳なさそうにこっちを見ているのに気づいて、花梨は無理矢理笑顔を作った。

「何でもないですよ。 さて、着替えを…」

 雲雀の持ってきた服は目立つのでご辞退頂き、花梨は腕まくりしてクローゼットを開ける。そして、綺麗に整頓されているそこを見て花梨は固まった。

「ど、したの…?」

 琥珀が傍に寄ってきて、心配そうに見上げる。それに花梨は苦笑いを返した。

「服…どうしましょうか」

 そこに並ぶのは豪華なシルクや手の込んだ細工の施してある、一目見て高価な物だと分かるものばかり。人材育成の塾を開いてそこそこ儲けている、疾風の父親からのプレゼントだ。

 琥珀の服に安くて地味なものなど、存在していなかった。







 結局、花梨が自分の服を部屋から持ってきて、それに着替えることになった。

 普通のセーターや長ズボンでも琥珀が着ると、可愛く見えるから不思議だ。身長分少し大きいので、裾を捲ったり余ってる部分をピンで留めた。

 そして氷雨の変装用用品が置いてある部屋で、それなりに別人に見えるように品を選んだ。なるべく早くと急いだ結果、一時間足らずで準備を終えた。

 変装部屋から下を見れば、外では雪だるまを作るのに飽きた構成員たちが、壮大な雪合戦を続けている。

「………仕事は大丈夫なんですか? あの人達」

「うん。完っ全に忘れてる」

 行き交う雪玉は、すでに幼児の頭部ほどの大きさになっている。しかも飛び交う怒号は喧嘩のそれだった。

 さすがマフィアの一員、と花梨が再確認したところで、雲雀が花梨の肩を叩いた。

「じゃ、さっき言った通りに」

「はい」

「………」

 こくりと琥珀が頷き、かけている黒縁眼鏡がずれた。慌ててかけ直す様子を見て、花梨と雲雀が顔を見合わせる。

 花梨は目が隠れるほど長い前髪の鬘を、琥珀は黒の鬘をつけた。

 ついでにニット帽をかぶって、色つきコンタクトで瞳の色を隠している。琥珀にはそばかすも書いて、変身終了。もっと凝った変装グッズもあったが、時間がないのでやめた。

 部屋を出て、見つからないようにさらに下の階に降りる。幸い仕事でこもっているのか、鴉も軌鉄も会わなかった。もともと午前中はあまり彼らと顔を見合わせる機会はない。

 階段を使って一階に着くと、先に花梨と琥珀が外へ向かう。

 玄関ホールの場所では結構な数の人の出入りがあり、皆忙しそうに働いていた。

 人の間を縫って、特に気にとめられずに二人は外へ出られた。



「………わ、ぁ」

 扉を開けると、白い世界が待っていた。すでに踏み荒らされてはいるが、まだここかしこに雪が残っていて、陽の光を集めて反射している。

 玄関先の階段を降りる。キュッキュッと慣れない感触の地面から、不思議な音が聞こえた。

 そのまま下を見ながら歩いていた琥珀は、花梨に腕を掴まれた。

「どこ行くんですか!」

「え…」

 見れば、氷雨の鉄門の手前。あと四歩ほどで歩道に出るところだった。

 その場にいる人の視線を浴びつつ、少女二人は慌ててUターンし中庭の方へ走った。
 寒さで息が白い煙になって、青い空に立ち上っていくのを見ている間に、雪合戦の場へ着く。

 が。

「……ちょっとこれは…」

 上で見るよりもすごい速さで雪玉が飛んでいくのを見て、花梨は呟いた。

 これ、当たったら大怪我するんじゃないかな、と隣の琥珀を見る。

 しかし怖がってやめると言ってくれないかという期待は、木っ端微塵に砕かれた。

 彼女はすごくキラキラした瞳で、花梨の袖を掴んで早く、早く、と催促していたから。

「…あの〜、私たちも混ざっていいですか?」

 最前線の雪壁より離れたところで、巨大雪玉を作っていた人に聞く。髪の短いその青年は、少女二人を見て首を傾げた。

「いいよ。 でも、…あんたたち誰? 会ったことないけど…」

 じろじろと顔を覗き込まれて、花梨は言葉に詰まる。

 そもそも琥珀くらいの年代の少女が本部にいるのが珍しいということに、今更ながら気づいた。

「来週から働いてもらう掃除係の子だよ」

「え…あ! 雲雀さま!!?」

 後ろから追いかけてきた雲雀が、付け加える。その顔を見てぎょっとした青年は、慌てて立ち上がって背筋を伸ばした。

 その態度の変化に花梨はぎょっとした。敵味方の視線が全てこちらに向けられているのを感じて、冷や汗が出る。

 雲雀に気づいた他の構成員達も、同じように直立不動になっていたので、花梨と琥珀も慌ててそれに倣う。

「そんな堅苦しいのはいいからさ、俺も一緒に混ぜてよ」

 へら、と雲雀は笑って、雪玉を作り始めた。その言葉に、張りつめた雰囲気が元に戻るのを感じた。

「じゃ、君たちは向こうのチームに入りなよ」

 促されて、庭を横切って相手の陣地に入る。雲雀が入ったチームの動揺が激しい分、琥珀と花梨はすんなりと受け入れられたようだ。

「雪玉作ってくれる? ある程度作ったら、投げるのに参加して」

 きりっとした顔立ちのお姉さんがそう指示してくれたので、二人は雪玉を作る作業に没頭した。花梨も久しぶりの雪で内心はしゃいでいるが、ふと見ると琥珀は手袋を外して素手で雪玉を作っている。

 しもやけになるかな、と思ったが楽しそうな様子に気兼ねして、花梨は黙っていた。

「これ、投げ…るの?」

 赤くなった手に歪な雪玉を載せながら、琥珀が聞く。

「そうですよ〜。 さ、いいですか?ここからは戦場です。情けは無用なので、思いっきり人に向けて投げてくださいね」

 花梨は両手に雪玉を持って、雪壁の一つに隠れた。そのすぐ後に向こうの陣地から雪玉が飛んできて地面に落ちる。琥珀も一つ持って、後に続いた。

 花梨が投げているのを見よう見まねでやるが、琥珀の投げた玉はぺしゃっと目の前に落ちる。

 残念そうな琥珀に、花梨が投げ方の指導をして、もう一度。

 しかしやはり半分も行かない内に地面に落ちてしまった。

「……難し、い」

「…いえ、そもそも玉が大きすぎるんですよ。本当ならこれくらいでいいんです」

 今の玉の五分の一程度、普通サイズ雪玉を琥珀の手に載せる。投げれば、今度は向こうの雪壁まで届くことが出来た。

「当たっ……きゃっ、わ、わぁ」

「あ、きゃあああ…!」

 投げるのに立っていたところを狙い打ちされ、琥珀の方に雪玉が次々に飛んできた。頭や腕や体に当たって、琥珀がころんとひっくり返る。手加減はしてくれたようだが、なにせ大きさが大きさなので、花梨は悲鳴をあげた。

「悪いな〜、お嬢ちゃん!」

「あ、こら!弱そうなところ狙うなんて卑怯だぞ!」

 向こうのチームから飛んできた声に、負けじと味方チームも吠える。さらに激しくなった雪玉の応酬の中、琥珀は雪まみれで起きあがった。

「あはは、やられちゃいましたね」

「…うん……っ」

 帽子や服を雪まみれにしながら、琥珀が微笑んだ。起きあがるのに手を貸した花梨は、そんな彼女に笑い返した。

「よーし、やられたらやり返し…て…」

 ざわついていた周囲が、何故か急に静かになった。

 みんな持っていた雪玉を落として、素早く立ち上がる。何人かはダッシュで逃げた。

 咄嗟に花梨が雲雀の方を見ると、彼は最大級の苦笑いをしていた。目が合うと、顔伏せて、と口を動かし、手でジェスチャーした。





「楽しそうだな、俺も入っていいか?」



 門の方から歩いてきたのは、予想通り――――――マフィアのボス。

「おい、疾風。 帰ったらオヤジんとこに報告行くんじゃねえのか」

 後ろから眼竜も追いかけてきた。そこで雲雀の時よりも一層、雪合戦メンバーに緊張が走った。

(…そういえば氷雨のトップ2、でした…ね)

 二人ともとても気さくだし、いつも顔を見合わせているからつい忘れがちだが。紛れもなくこの辺り一帯を支配するマフィアのトップと右腕だ。

 忘れていたのは花梨の所為だけではない。ボス以下幹部がフレンドリーすぎるのだ。

 だから、一般構成員のこの態度に花梨は、今現在、なんという人を敵に回しているのかと背筋が凍る思いがした。
























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