雪の日 #3






「別に少しくらいいいだろ、ここだったらなんかあってもすぐ連絡つくし」

「っつっても……………………じゃ、俺も混ぜてもらおうかな」

 直立不動の人の群れから、花梨がこっそり向こうを覗く。

 向かい合って疾風が軽く頭を掻き、眼竜が溜息をついたところが見えた。

「え、と…、じゃ、入りますか…?」

 少しざわつく中庭で、疾風達の近くにいた青年が呟いた。疾風はその声に顔を上げて、言った。

「サンキュ。 …懐かしいな、昔はよく遊んだもんだ」

 ひょい、と落ちている大きめの雪玉を持ち上げた疾風は。



 そのまま思いっきり、顔を不自然に逸らしている雲雀にそれを投げた。



「がッ」

 寸分違わず顔面に剛速球の雪玉が当たった雲雀は、勢いに負けてそのまま地面に倒れた。

 全員が騒然とする中、疾風は無表情で倒れたままの雲雀に近づく。衝撃で目の前が眩むのだろう、頭を押さえている雲雀は慌てて叫んだ。

「ちょ…ちょっと、…いや、今回は違います! 損得とかなしで、善意で…」

「そんな話はいいんだよ。 とりあえず、お前、仕事はどうした」

 疾風は容赦なく、雲雀の背を踏みつける。

 雲雀はつぶれた蛙のような悲鳴をあげて、動かなくなった。

 

 痛いほどの沈黙が庭に降りる。

 やがて、顔を上げた疾風は、顔面を蒼白にした構成員達にニッコリ笑いかけた。

 光に反射する黒髪に、精悍な顔立ち。藍色の瞳を細めた彼の笑顔はいっそ無邪気と言ってもいいほどだ。

 誰をも魅了するような完璧な笑顔で、絶対零度の声が、言った。



「―――――――もちろん、お前らは、やることやって遊んでるんだよなあ…?」

「「「「……っ すみませんっしたぁ!!!!」」」」

 既に構成員達の戦闘意欲は0だ。

 その瞬間、全員が疾風に敬礼して叫び、我先にと駆けだした。もちろん、建物の入り口に向かって。

 隣を一礼しながら行き過ぎる構成員達を見送りながら、疾風が足元に声を掛ける。

「雲雀。 ここにいる全員の名前と部署と直属の上司名、ここ2週間の勤務態度をまとめて提出しろ。 今日の二時までにできなかったら、三日三晩素っ裸で木に吊してやる」

「……イエッ…サー…」

 雪に顔を埋めながら、雲雀がか細くくぐもった声で返事をした。







「…この流れに乗って帰りましょう!」

「え…で、でも、…」

 一方、脱兎で駆け出す構成員にあっけにとられていた花梨と琥珀。

 一瞬遅れて、逃げるチャンスと気づいた花梨が琥珀の腕を掴んだ。しかし琥珀は焦った様子で、花梨と疾風に捕まっている雲雀を交互に見ている。

 その視線の意味に気づいて、花梨は悲しそうに首を振った。

「尊い犠牲でした…さ、逃げますよ」

「はい。 捕獲」

「!?」

「…わ…ぁ」

 いつの間に移動してきたのか、眼竜が、後ろからひょいっと二人を持ち上げた。

 首根っこを掴まれたネコのような格好で琥珀と花梨が振り返ると、眼竜は疲れた表情で二人を睨んだ。

「…変装までして、何してんの二人とも」

 見つかったという事実に、少女二人は一気に顔を青ざめた。その様子を見て、眼竜が大きく溜息をつく。

「おーい、疾風。捕まえたぞ」

「こっちに連れてこい」

 なんの感情もこもっていないその声に、さらに二人とも青くなる。ここで遊んでいたことは、疾風にもバレていたようだ。

 じたばたと動いてどうにか逃げようとする花梨と琥珀を無視し、眼竜がそのまま疾風の前に連れて行く。
 すでに半分以上雪に埋もれた雲雀から足をのけた彼は、『不機嫌』と顔に書いたまま三人を迎えた。

「……………で、なんの真似だこれは」

「―――っ」

「いやそのあの…!!」

 先程よりも凄みを増した声に、地面に下ろされた少女二人は思わず眼竜にしがみつく。プルプル震えて泣きそうな二人に盾にされ、眼竜はあ―――…、と空気が抜けるような声を出した。

「…とりあえず、用事済んだらすぐ帰る気だったよな?」

「……っ…」

「もも、もちろんっ!」

 眼竜の助け船に、慌てて二人とも首を縦に振る。けれども白けた視線は変わらない疾風を見て、眼竜はさらに言った。

「で、言い訳…ある?」

 琥珀と花梨は、ちらりとお互い顔を見合わせた。花梨が今までのことをどう説明しようかと怯む間に、琥珀が口を開いた。



「…あの、………私が、無理、言った……の」

「琥珀ちゃんが?」

 意外だったのか、眼竜は少し目を見開いた。腰辺りに張り付いたまま、琥珀はこくりと頷いて、

「ごめん、なさい……ユキ……遊びたかっ…た、から……。二人、とも、全然っ…悪く、ない…!」

「違います、すみません、私の責任です!! 私がちゃんと止めなかったから! 処分は受けます。 でも、……少しだけ、雪だるまだけ、作っては駄目ですか…?」

「………だってよ。 どうする?」

 必死でお互いをかばう二人の様子を見ながら、眼竜は疾風に判断を委ねた。

 どちらが折れるかは分かり切っていたので、ほんの少しのいじわるを込めて。


 疾風はそんな親友を睨んで、小さくなっている琥珀と花梨を見下ろしていた。

 それから、しばらくして一つ息を吐いた。

「…眼竜、お前がついてろ」

「ほいよ。 ほら、作ってなるべく早く帰るぞ」

 眼竜がきょとんとしている二人の背を叩く。信じられないような顔で、花梨と琥珀は疾風を見た。

「…いいんですか?」

 思わぬお許しに顔を明るくした二人に、疾風は不機嫌な顔で呟いた。

「俺は先に戻る。 ……帰ってきたら三人ともたっっっぷりと説教してやるからな」

 そう言って雲雀をそのままに疾風は建物の中に入っていった。

 結局、人目につかない裏庭の隅に眼竜ほどの大きな雪だるまは作れたが……、琥珀も花梨も心からその作業を楽しめなかったのは、言うまでもない。











 予告通りたっぷりと説教をもらった三人は、反省文を五十枚書いてくるまでご飯抜きになった。

 可哀想に思った料理長がこっそりお菓子をくれたが、昼ご飯どころか夕ご飯も食べられず。
 その日は自室にそれぞれ篭もって作文をひたすら書く羽目になった。

 花梨が作文で疾風に合格をもらえたのは夜遅く。それでも一応、夜食にはありつけることができた。雲雀も約束の時間ギリギリに報告書を仕上げてから、ひたすら反省文を書き、なんとか及第点をもらった。

 一番遅いのが琥珀だ。必死にひらがなで小さなマスを埋めていたが、そもそも文はおろかまだ文字を書くことすらおぼつかないのだから、終わるわけがない。

 昼前から頑張って、二枚目の途中で―――――――日付が変わった。



「………う…、ううー……っく、…ひっ…く」

 書いても書いても終わらないのと、二人を巻き込んだことと、お腹が空いたこととが心の中でぐちゃぐちゃになって、時計の針が十二を過ぎるのを見た瞬間に琥珀の眼から涙が零れてきた。

 袖口でごしごし擦っても止めどなく涙が溢れてきて、やっとの思いで埋めた原稿用紙に落ちて濡れる。慌てて、なんとか手を動かして原稿用紙を机の端に押しやった。

 一人で涙と格闘すること数分。

 それでもしばらくしたら、気持ちが落ち着いてきた。

 深呼吸して、もう一度原稿用紙に向かう。

 我が侭を言ったのは自分で、巻き込んだのも自分だ。字を書くのが大変でも、せめてあの二人と同じように、課せられたノルマは果たしたかった。

 一文字書いたところで、書斎のドアが開いた。それと同時に、ふわりといい匂いが鼻をくすぐる。

「出来てるか?」

 お椀を載せたお盆を持って、疾風が入ってくる。思わずお椀を見つめてしまった琥珀は、頭を振って甘い考えを吹き飛ばした。

「………ま、だ」

 涙で濡れた原稿用紙を他の紙で隠しつつ、答える。しっかりとそれを視線で追った疾風は、持っていたお盆を机に置いた。

「さっき二人からな、琥珀のペナルティをもう少し軽くしてくれって言われたんだ。その分自分たちが書くからって」

「……っ」

 前のソファに座った疾風の言葉に、琥珀は急いで首を振った。

「…まあ、そう言うだろうと思って却下した。 甘やかすのが本人のためになるとも思えないしな」

 と言って、疾風は琥珀の手からペンと紙を取り上げて、代わりにレンゲを握らせた。

「けど、確かに琥珀には不利な条件だから、ご飯抜きだけは免除してやるよ」

 湯気の立つお粥を前に、琥珀の喉が鳴った。恐る恐る疾風を見ると、彼は琥珀の書いた反省文を眺めていた。

「食べて、いい、の…?」

「どうぞ」

 こちらに目を向けずに言う。視線は原稿用紙を追ったままだ。

 琥珀は小さくいただきます、と呟いて今日初めてのまともな食事ご飯にありついた。


























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