二人の訪問者 #3






 問題の二人が疾風の仕事場に通されたのは、それからわずか八分後のこと。



 後ろに客人をたずさえて廊下を進んできた楓は、息を切らせながらあの部屋の前に辿り着いた。

 息を吸って、呼吸を整えて、ノックをする。

「どうぞ」

 簡素な言葉が部屋の中から返ってきたので、楓が扉を開けた。

 先ほどよりも適度に片づけられた部屋の中。
 ソファに座った状態で疾風がじろりとこちらを見た。そのソファの後ろには、直立不動の眼竜の姿。

 眼竜は三人の姿を見て、目を見開いた。

「わぉ。本当に十分以内に帰ってきたよ」

「…………ち、適当に難癖つける作戦が台無しだ」

 ソファに座った疾風がぼそりと言う。

「……なんすか。命令通りなのに何故!?」

 非難されているのが分かって、理不尽さに楓が悲鳴を上げた。

 眼竜はまあまあと彼を宥めて、そのまま首をホールドした。ぐえ、とつぶれたカエルのような声を出した楓を扉の前からどかせる。

 その前を、二人の人影が通り過ぎた。

 前を歩くのは金の瞳が印象的な、黒髪の少年。彼は一瞬射るような視線を疾風に向けて、ソファの隣に立った。

 その後ろにいた人物が、無言のまま会釈して疾風の向かいのソファに座る。

 疾風はソファに片肘をついたまま、彼を眺めた。

「申し訳ありません。主は小さい頃に負った火傷の所為で声が出ませんので、私が代わりにお話しさせてもらいます」

 黒髪の少年が綺麗な礼をして言う。

「………………」

 疾風はそちらを一瞥して、正面の人物に視線を戻した。

「せめて面はとれ」

 その貴族は顔全体を覆う仮面をつけていた。

 適度に宝石と装飾の施されたそれに隠されて、相手の表情も年齢もうかがい知ることはできない。

 対峙する相手は真っ直ぐ背を伸ばして座っており、不遜な様子はないが。

「…ケロイドで見せられるものではありません。このままで」

「仮面を、取れ。できないなら、失せろ」

 疾風の凄みのある表情と、声に部屋の空気が固まる。主の代わりに口を挟んだ少年も、沈黙した。

「………なるほど」

 小さく、くぐもった声が部屋に零れた。

 随分聞きづらいが、どこか幼さの残る声が仮面の向こうから流れてくる。

「失礼します」

 仮面の主はそう言って、手を頭に伸ばしてパチン、パチンと留め金を外していく。

 不意に外れないように厳重に設計されているのだろう、しばらくしてようやく、仮面が彼の顔から外された。

「初めまして、空木(ウツギ)と言います。以後、お見知りおきを」

 年は十七、八だろうか。柔和な笑みを浮かべるその顔には、火傷の痕など残されていない。隠されていたのが勿体ないほどの、美しい少年がそこにいた。

 少しうねった金色の髪の彼は、持っていた仮面をゴミ箱に捨てた。

「最近になって、表舞台に出てきた仮面のご子息、だったか。そんなものしてない方が、新聞にはよっぽど騒がれると思うけどな」

 疾風はさっき受け取った貴族の紋章を、彼に投げ返した。

「俺のこと知ってたんですか。その上で仮面を取れだなんて、人が悪いなぁ」

 受け取って、少年が笑う。  愛想笑いだと明らかに分かるのに、その顔はまるで天使のようだ。

「あ、ちょっと世間話しておいてくれ」

 眼竜が、楓の首を掴んだまま手を挙げた。少年たちがきょとんとした表情を向ける中、楓を引きずって眼竜は廊下に出ていった。

「なんだか申し訳ないことをしましたねえ」

 扉が閉められるのを見ながら、空木が苦笑する。そして、疾風に向き直った。

「お忙しいのは重々分かっています。ので、単刀直入にお聞きしたい」

「沙耶、という少女について、だったか?」

 疾風が彼の言葉を引き継ぐ。空木は頷いた。

「……ここにいるのは分かっています。 会わせてくださいませんか」

「さて。うちはたくさん人がいるからな。いきなり言われても調べてみないことには、どうにも」

「この野郎。下手に出れば調子のりやがって……!」

「夜叉(ヤシャ)!」

 疾風の態度に業を煮やした夜叉が、一歩前に出て歯を食いしばる。それを鋭く制した空木は、全く態度の変わらない疾風を見て溜息をついた。

「分かりました。 ……初めから、腹の探り合いで勝てると思ってませんから」

 頭を掻いた空木は、腰をずらして場所を詰めた。

 彼が隣に立つ夜叉に目配せする。夜叉は苦々しい顔をしていたが、そっぽを向いたままソファに乱暴に座った。

「どこから話したものか………」

 空木は話す前に一拍、時間を置いた。

「俺たち、琥珀と同じ『ペット』……でした」









 重い扉が閉まれば、中の会話は廊下には聞こえてこない。もちろん、外の会話も中には聞こえないだろう。

「楓、お前には今から特別任務を与える」

「はい、なんでしょうか」

 今日は驚き尽くして、半ばやけになっていたのが悪かった。

 返事をした楓に眼竜がにやりと笑って、廊下の奥のある部屋に彼を押し込んだ。

「ここの掃除だ。俺がいいと言うまで磨いとけ」

「え? は?」

 目を見開く楓の前には、数え切れないほどの調度品の、山。

 小さな窓から入る光に照らされて、黄金色に輝くそれらを眺めている間に、扉が閉まった。

 またしてもご丁寧に、鍵の掛かる音。

「え………っ、ちょーっ!!?」

「いいかぁ? 仕事しとけよ。大人しくしていたら、悪いようにはしねえから」

 苦笑する気配がして、じゃーな、と言う声を最期に眼竜が去っていく。楓は思い切って扉を押してみるが、ビクともしなかった。

「………もう、いいや」

 楓は溜息をついて、手近にあった布を持って水晶の像を磨き始めた。

 もとより彼はあれこれ悩む性質ではない。もちろん自分に必要なことなら思考するが、今回はどう見ても自分とは離れた世界の話らしい。

 なら、大人しく体を動かそう。

 ワックスはないので、端から順に布で拭いていく。埃を取る程度しかできないが、元々それなりに手入れされているので、それだけで十分綺麗になる。

 カチャ、……カチャン

「ん?」

 鍵の開く音がしたのは、しばらくしてから。

 眼竜が戻ってきたのかと思って振り返ると、そこにいたのは大男とは似ても似つかぬ、一人の少女。彼女は扉から顔を少しだけ出して、楓を見た。

 一目見て、さっきの美少女だと気づいた。この琥珀色の眼は間違えようがない。

(しかし……)

 少年二人の綺麗さにも驚いたが、改めて見てこの子は別格だと思う。造形の美しさももちろんだが、少女特有の華奢さというか儚さというか……

「あの、」

 と、惚けている楓に、少女ーーー琥珀が声をかける。反応のない楓に不思議そうな顔をする。

「あ、えーとごめん。どうした?」

 どう見ても年下なので、楓は気さくな感じで話しかけた。彼の笑顔を見て、琥珀は表情をほっとしたものに変える。

「あの、あのね……今、来てる、人…」

「…………うん?」

 扉ごしで小さな声なので、聞こえづらい。かといって、疾風様と関係ありそうなこの子をこちらに呼んで部屋に二人きりになるのもいかがなものか。

 残る選択は一つだけ。

 楓は立ち上がって扉に近づいた。

 すると琥珀は目に見えて慌てふためき、彼が声をかける間もなく扉を閉めてしまった。
























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