「……………ペット、ねぇ」 言葉の端に『疑わしい』の言葉を貼り付けて、背をソファにもたれかけた疾風が呟く。彼は正面に座る二人の顔と捨てられた仮面を見た。 実のところ、沙耶の名前と二人の容姿を見て、可能性としては考えていたことだった。 幼い頃の琥珀の交流関係をあらかた知っている疾風は、彼らとは初対面だ。とすると、出会う場はそこでしか考えつかない。 けれどいくつか腑に落ちない点もあった。 「名門の嫡男が、またどういう経緯で?」 「売られました。母に」 空木がしれっと答える。 「母は屋敷の使用人でした。父に手つきにされた時にはもう跡継ぎが三人ほどいたので、身重のまま追い出されたんです。 十三まで一応育ててはくれたんですが、仲介人に金をもらった姿を見て、それっきりです」 疾風は適当に相づちを打って、夜叉の方を見た。 「俺はもっと簡単。下町で住んでた時に家族が強盗に殺されて、生き残った俺だけその筋に売られただけ」 頭の上で手を組んで、これまた簡潔に夜叉が答える。 あまりにも淡泊すぎて、まるで別の人の話のようだ。空木は言葉を続けた。 「売られた先で沙耶に会いました。まあ今思い出しても身の毛のよだつ、気味の悪いところだったと言っておきましょうか」 そこで、楓を閉じこめてきた眼竜が帰ってきた。 疾風の後ろに彼が立つ間、疾風は目を閉じて記憶の糸をたぐり寄せていた。この少年に関しては、当時かなり騒がれていたから思い出すのはそれほど苦ではない。 「そして、当主が迎えに来たのか。流行病で跡継ぎが全員亡くなって、よほど困り果ててたんだろうな」 「………よくご存じですね、地方の一貴族のことなんて」 「跡継ぎが全滅した後に表れた仮面の男、なんてインパクトはそうそうないからな」 「まあ、その通りです。正直、俺は貴族なんて大嫌いですよ。迎えが来るタイミングが違えば、もしかしたら突っぱねていたかもしれません」 俺たち、餓死させられる寸前だったんです。逃げようとした罰で。 静かに零れた言葉にも疾風は動かなかった。 彼らを飼っていた貴族は世間体を気にする小心者だった。本来ならばいらなくなったペットはその手の業者にもらってもらう手はずになっているのだが、逃げられそうになったことは知られたくない。 とはいえ、自分の手を汚すのも躊躇われて。 結局水も食事も与えずに、部屋に閉じこめて殺そうとした。どんどん衰弱していく恐怖に気が狂いそうで何度も助けを請うた。 けれど頑丈な扉はビクともせず、喉の渇きで意識がもうろうとしたところに、現れたのが空木の父親だった。 「………………ふざけるな、って思いました。お前の勝手で捨てたり拾ったり……そんな、馬鹿な話があるか……って……っ」 夜叉に服を引かれ、自分の震えている声に気づいた空木が呼吸を整える。握り締めていた拳を解いて、空木はじっと疾風の顔を見た。 「……………失礼なこと聞いてもいいですか?」 「なんだ」 「あなた、疾風様ですよね。氷雨の」 空木の言葉に目を細めた疾風は、呆れと侮蔑を隠そうともしない声で言った。 「……………………お前らは今まで誰と話してるつもりだったんだ」 今すぐにでもつまみ出されそうな気配を感じて、空木が慌てて手を振る。困ったように頭を掻く表情は、年相応の少年のものだった。 「あ、いえ、そういうことではなく! 最終確認、というか」 ふーっと空木が息を吐いた。 「先ほどの話に戻るんですけど、その時逃げたメンバーは俺と夜叉と沙耶の三人。で、計画と先導は沙耶なんです」 「は?」 予想外な言葉に、思わず疾風は顔を引きつらせた。 「いやあの計画は見事というしかないですね。何日もあいつの行動をチェックして、細かく時間も決めて」 「中身はドストレートに、部屋から逃げるだけだったけどな。とりあえず下まで逃げ切れば、奥方連中はパニックになるだろうからその混乱に便乗しようってな」 年下の少女の頭の回転と、実行力に舌を巻いたと彼らは言う。 「何がきっかけだったのか………記憶喪失の状態だったのが、突然全部思い出して。彼女の本名もその時。結局捕まって、俺たち二人は部屋に閉じこめられ、彼女はそのままどこかへ移されて以来、会ってません。 けど、逃げる前に、帰りたい場所は氷雨のあなたのところだと、聞きました」 「……っ」 「先日、懇意にしている記者から一枚の写真を受け取りました。……女の子の写真。一目見て、沙耶だと分かった。無事でいたのにほっとしましたけど、それ以上に。あなたのところに帰っていたのだということが、嬉しかった」 一瞬、間を置いて空木は言った。 「だから会いに来たんです」 扉が閉まった後、その場から立ち去ろうとしない気配を感じて、楓は頭を掻きながらドアに背を凭れて座り込んだ。 「このドアは開けないからさ、ちょっと座りなさい」 扉の向こうで、おずおずと座る気配がする。 一応、氷雨本部の警護を任されているのだ、気配を読むくらいお手の物だ。 「何か用があってきたんだろ?」 「…………………うん」 蚊の鳴くような声が聞こえた。 「で、えーと、人? 今来てる人の話?」 その単語に、少女の緊張感が扉越しに伝わってくる。 なんというか、自分の感情を隠す気がないのか隠せないのか、とにかく無防備すぎる子だと思った。言葉より態度で気持ちが伝わるって、どんな環境で育っているんだ。 「俺も詳しいことは知らないけどね。なんでも沙耶って女の子に会いに来たみたい」 今度はなんの動きもない。 「名前は……なんだったかな……ウツキ、とヤシャ……うわっ」 そこまで言ったところで、いきなり扉が向こう側に開いた。体重を乗せていた楓が慌てて飛び退くと、扉を開けて至近距離にあの子がいた。 「ほんと……? 空木と、夜叉…」 「あ、うん。すんげえ美形な二人組……知り合い?」 楓の問いに、コクコクと頷く。そしてじっと楓の顔を覗き込んだ。吸い込まれそうな琥珀色の目が、不意にとろけた。 「…………ありが、とう!」 扉に手をかけたまま、目の眩むような笑顔で、少女は微笑んだ。そのままパタパタと廊下を走っていくその後ろ姿を見送って、楓は手を振った。 「………どういたしまして?」 どういうことか分からないが。 きっと良いことをしたのだろう。あの笑顔を見て、そう信じることにした。 |