探しモノ #4






 大きくため息をついて、楓はその階に足を踏み入れた。慣れない新しい制服の首元に指を入れ、息苦しさをどうにかやり過ごそうとする。

 それでも心臓は怖いくらい脈打ってるし、冷や汗と胃痛が半端なく襲いかかってきて、もうどうしようもない状態である。

「なんで俺ここにいるんだよ……」

 断る事を許されない、強制的な配属替えがあったのはつい先日。
 同僚も上司も白目をむいて驚いていた。だって下っ端の門番が、幹部クラスの警備に当てられるなんて誰が思うだろうか。

 仲間達は不思議がったが、楓は間違いなく原因が分かっっていた。というか、それ以外に理由が思い当たらない。

 しかし、思い出すのはぶち切れた組織のボス、疾風の顔と声、そして容赦の無い制裁だけである。

 痛いなんてもんじゃない。いや紛れもなく痛かったが。

 内臓をえぐられて、しばらくいろんなところから血が止まらなかった。はっきりいって死んだ方がマシだと百回は思った。

「………つーか、あんだけ強いなら警備いらねーだろ」

 あの痛みを思い出して再び脂汗が流れる。できれば、疾風には一生視界の端にも入れられずに、仕事していたいと思っていたのに。

 何故自分はここにいる。

 考え事をしていたせいで、気づくのが遅れた。

 不意に曲がり角から出てきた人影が、楓という障害物にぶつかって、そのまま後ろ向きにバランスを崩した。

「わ」

「だいじょ………っ」

 咄嗟に差し出した楓の手が、止まる。助ける手がないまま、華奢な体が廊下に尻餅をついたのが見えた。

 とすん、と廊下に引かれたカーペットの上に座り込む少女が、こちらを見上げる。

 窓から入る光で輝く色素の薄い、長い髪。琥珀色の眼。まるで人形のように整った造形は、おそらく一度見たら忘れられないだろう。

 間違いなく、疾風の。

 少女は目を見開いて、じぃっと楓の顔を見つめながら微動だにしなかった。

(「うおぉおヤッベー! まさか怪我させたとか? いやでもこの場合体触ったらそれはそれで殺されそう……!」)

 小心者だと言う事は自覚はある。笑いたければ笑うが良い。

「すみません、大丈夫ですか!?」

 膝をついて自分より一回りくらい年下の彼女の様子をうかがえば、ようやく口が開かれた。

「……………………この、間、の」

「そうですそうです。そんで怪我は?!」

 彼女は大丈夫、と首を振って立ち上がった。

「…………」

 そのままじーーーーーーーっ、と見つめられた楓は居心地が悪そうに一歩下がる。

「……何ですか?」

 二人きりのところを誰かに見られたらと思うと、寿命が縮む思いがした。もう疾風の鉄拳はごめんだし、よく分からないけど大出世コースに乗ったその日にクビとか、笑い話でしかない。

 これは適当に失礼しますと切り上げた方がいいと。そう告げようとしたところで。

「………良かったぁ……」

 琥珀の瞳を蕩かせて、少女がふんわりと笑った。
 人形のような雰囲気が、一瞬で女の子に変わって、楓はその次の言葉が言えなくなってしまった。

「なぐったとこ、大丈、夫?」

「えぇ……まあ、はい」

 我ながら気の抜けた返事と思いつつ、少女は気にしていないようだった。

「ごめん、なさい。私が、余計なこ、と、したから」

 頭を下げられて、ますますどうしたらいいのか分からなくなった。立場が明らかに彼女の方が上なのだから。

(………素直な子なんだなぁ)

 それが正直な感想だった。
 楓は琥珀よりだいぶ年上だ。謝罪することの難しさは、よく知っている。
 そうやって率直に来られたら、言う台詞など決まってしまうのに。

「いえ、俺も軽率でしたから。全然謝ることないっすよ」

 この子の為だったのなら、あの地獄の苦しみも良しとしよう。うん、もうそう思い込もう。その方が人生楽しいような気がするから。

 とはいえ、少女も楓と話をすることで、起こる災害を警戒しているようだ。

 きょろきょろとあたりを見回して、注意深くそっと離れた。

「え、と……また、ね」

「ああ、はい。またどっかで会う……」

 そこで懐中時計をちらりと見た楓は、顔を引きつらせた。真っ白になった頭より先に動いた手が、去ろうとしている少女の腕を掴む。

「っ!?」

 ビクッとあからさまに少女が体を震わせたのに、気づく余裕は楓には無い。

 今、十二時五十八分。告げられた仕事の開始時間まで、あと二分。新人が着任早々遅刻をするなど、言語道断。殺される。

「すみませんっ、警備の詰め所ってどこですか!?」

「え?」

 反応が鈍い少女にじれて、思わず。

「失礼しますっ」

「え? や、ぁっ」

 その体を抱き上げてしまった。

 いきなり体が宙に浮いて、びっくりした少女が楓の首にすがりつく。

 羽みたいに軽いのに一瞬戸惑うが、もうそれどころではない。

「場所、指さしてくれたらそれで十分ですっ」

「あ、の………あのっ」

「急いでるんで!」

 必死さが伝わったのだろう。少女は抱き上げられたまま、来た方向の廊下を、示した。

 楓はそのまま廊下を走る。彼女のナビのおかげで、二、三度角を曲がったところで、『詰め所』と看板にある部屋の前に辿り着いた。

「失礼しまーすっ」

 飛び込んだのは秒針が十三時を指すほんの少し前。

 扉を開けた先には、同じ制服を着た屈強そうな男達がお茶を飲んだり、煙草を吸ったりして、くつろいでいるところ。

 交代の時間にはどうやら間に合ったようだ。

 と、そこで。

 部屋の中の空気が凍り付いていることに気づいた。一番前にいた青年が、口の端からぽろりと煙草を落とすのを見て、なにをそんなに驚いているのかと。

 彼の視線を追って、とんでもない事が分かった。

(……やっちまったぁぁぁぁぁぁああぁぁぁっ!!!)

 少女を抱えたまま飛び込んだのだ。同じ階で、彼女の存在を警備の者が知らないはずは無い。

 しかも抱えられている少女は、真っ赤な顔で目を閉じて、なんか震えてるし。

「お、おま、おまえ……っ」

 怯えすら含む警備たちの声に、少女が目を開ける。楓の動きが止まっている間にと、慌てて床に降りた。
 ふわりといい匂いが離れて、楓がそちらを向くと。


 服の前を握りしめて、涙目で楓を見る少女の姿がそこにあった。


「すみません、これ、は」

 楓が近づくと、彼女は怯えたように下がる。

「……っ……さ、触らない、で、くだ……さ……」

 ほとんど聞こえないほどの小さな声でそう言った少女は、うー、と唸って涙をこぼすと、そのまま部屋を飛び出していった。

「後で話を、ゆうううっくり聞かせて貰おうか?」

 実は部屋の中に居た、眼竜が一番に動く。

 鋭い視線を楓に向けて、今日のリーダーに後はよろしくと伝え、眼竜も追って飛び出した。


















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